社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

不能列車、北へ

✳︎
0番線の列車は、逆行する。
ワンマン運転で、発車する。
三両編成を、鈍行する。

通過する、曇天の公園は、
異形のモニュメントで、
溢れている。渇水ギロチンに、
少年野球と、ザリガニ釣り。
鳩でも鴉でも雀でもない、
艶やかな、黄色い嘴。
改良工事に咲く花は、紫。
江戸と露西亜と亜米利加の、
共生という。本当に咲いている方が、
むしろ人工的で。引き続き、鉛。
去勢された水車の、亡骸など。

公園を抜ける。肉と煙草を、
等しく胃袋に収める生命体の、
ための、安田講堂が、あるらしい。
天井桟敷クリケット。そして。

--住宅街に、忽然と。

上水道から、垂れ流す御神水に、
物々しく、巡らせた有刺鉄線を、
突破して。稲荷の司に、謁見を、
申し入れたく。
《愛郷之碑》に、曰く。
此の社は、“此の里”を、恐るべき、
無秩序な“市街化”から、防衛する、
ための、抵抗の拠点、であった。
--全てに、合点が行った。
この、異邦人にさえも。

結界が、神を、聖別する。
「ただ、畏れよ」と。
こうして記録する、私の手を、
藪蚊が執拗に刺しては、
警鐘を鳴らす。狗の遠吠えが、
左右の耳に、切迫して、呼応する。

三柱の、石彫の御狐様が、
私を、異邦人を、睨み付ける。
一柱の、木彫の御狐様が、
鷹揚に笑んで、彼らを下がらせる。
私は。精一杯に、異邦の客らしく、
啖呵を切って。財布に在った、
百円と、消費税を五円、奉納する。
昭和64年の作法に、則って。
エニシとは、一宿一飯の恩義。
これで私も、“此の里”を、防衛すべく。
果たすべき、義理を負った、
ということだ。

雨が。降り出した。

チェーンの薬局を発見して、
私は遂に、呼吸を、取り戻す。
--異邦人は、零で割られる。
あの列車は、忠告を発していた、
ではないか!

極めて、機械的な精確さで、
新たな指示書を、受け取る。

ただ、それだけのために、私は。
生命の危機を、乗り越えねば、
ならなかったと、いうのか?
私が、生きて、“彼の里”を、
脱出することができたのは、偏に、
あの、気紛れな、御狐様の慈悲を、
得られたからに、過ぎない。
そして、黄泉竈を、食らわなかったこと。
--自覚せよ。己の、途方も無い、
僥倖を。

遂に。列車は、0番線に帰還する。
何故、人が、たった一駅のために、
その0番線を、建立したのか。
今や、その叡智の限りは、明白だ。
「ただ、畏れよ」と。
藪蚊の警鐘が、こびり付いて、離れぬ。
人は。社を、観光地へと、
改造工事を、未だ、完遂できぬまま。

私が。“彼の里”で、
最後に目にした、文字列。
北綾瀬
私には、もはや、その文字列が、
一音たりとも、読めぬ。
確かに、目的地であった筈なのに。
北綾瀬
“彼の里”は、どうやら私の生命を、
永遠に呪わんと、
決意したようである。

0番線の、三両編成が。
私に、憐憫の眼差しを向ける。
零で、割られてしまった、
私の。生命を、
見透かして。

【青春タンクデサント】b2「静かに、そしたら、連れ出して(遠くへ)」

orcadawg.hatenablog.com

 

✳︎
    市内のターミナル駅の、片隅で。
    待ち合わせの時間には、まだ三十分もあって。
    恋する乙女じゃあるまいしと、睦美紅子は、心の中で、独りごちた。
    --文化祭の二日目を、“サボタージュ”する。
    馬鹿げた「提案」を、驚くほど、すんなり受けた。
    犬飼恭兵のことを、改めて思う。
(……うん。やっぱり、ワンコだね)
    平日の昼間といえど、行き交う人並。
    その雑踏はしかし、涼しげな淡い水色のカーディガンを羽織った、彼女の耳には届かない。
《I know what you’re thinkin’》
《I know how you’re feelin’》
《Believe me, you’re not alone!》
    待ち人が貸してくれた、ポップパンクと呼ばれるらしいジャンルの音源が、イヤホンに掻き鳴らされていた。
(……うーん、オトコのコだねぇ)
    微苦笑を浮かべ、それを停止する。親指がプレイヤーの画面上を暫し、彷徨ったのち。
    Deftonesの“Around The Fur”を、選ぶ。
    そして、迷うこと無く、六曲目へと飛んだ。
 
    “Be Quiet And Drive (Far Away)”。
 
    乾いたディストーション・ギター。
    重厚なリフは、しかし、異様な高揚感を放っていて。
    その上に、浮遊していながら、唐突にヤケクソのように絶叫する、ボーカルが乗る。
    爽やかでいて、病んだ自愛的なメロディー。
    重苦しくも、軽やかな、轟音の渦。
    そこに「矛盾」は、無い。
    --ほんの、二年ほど前。
    ネット上で知り合った「自称・バンドマン」の金髪に、処女をくれてやって。
    唯一、得られたモノが、あったとすれば。
    Deftonesの、この2ndアルバムの存在だろうと。
    睦美紅子は、そう、考えている。
    物珍しそうに、彼女の左腕の傷痕を見た男は、何枚かの音源を渡してくれた。
    Nirvanaは、いかにも「オトコのコ」だと。それ以外の感想は、特に無かった。
    オススメされたDeftonesの1枚目も、同じく。
    “Bored”--退屈と、言われたところで。
    何一つ、感慨は伴わない。
    --ソレは、初めてのセックスと、何ら変わらない。
    図書館で、貪るように、歴史書を読み漁りながら。
    初めて出逢った、見ず知らずの男に抱かれる、私。
    男を取っ替え引っ換えしながらでないと、とても生きていけない。いわば「恋愛依存性」の、母親の血を引く。
    自分は「違う」と。そう、思いたかった。
    父親の顔は知らない。母親の手料理は知らない。
    私の、このカラダは。
    きっと、コンビニ弁当で、出来ていて。
    それでも、男にとっては価値があるらしいというのは、可笑しくもあり、死にたくもあった。
    --自分は結局、母親の血を、引いているのか。
    歴史書を貪る。
《すべては、科学的な必然に基づく》
    白黒写真の、でっぷりとした鷹揚なロシア人が。
    私を、嘲笑っていた。
 
    千々として、思わず、乱れた思考を。
《And I don’t care where just》
    そのボーカルの、意気揚々とした、金切声が。
《Far! away……》
    ターミナル駅の片隅へと、引き摺り戻した。
    --どこでもイイから、とにかく、遠くへ。
    苦笑いするしかない。
    自分は、まさにこれから。後輩の少年と連れ立って。
    季節外れの、海を。
    見に行こうとしているのだ。
(……女々しいよね、Deftonesって)
    睦美紅子は、約束の十五分前を確かめると。
    音源を切って、いったん、待ち合わせ場所を離れる。
    --犬飼恭兵を「待たせる」ために。
    そして、約束の五分後に、白々しく現われる自分が。
    彼に。
    Deftonesの音源を貸すことは、無いのだろうと。
    漠然と考えながら。長い黒髪に、真っ赤なヘアバンドの少女は。喧騒に紛れて、駅ビルの中に消えていった。
 
 
 
 
 
Deftones - Be Quiet And Drive (Far Away)
 
Home Grown - You’re Not Alone

【Dinosaur Jr.】J.マスキスを超えるギターロッカーを

✳︎

鯱狗は知らない(断言)。

メロディーが「温かい」。
ギターリフが「温かい」。
ギターソロが「温かい」。
ギターノイズが「温かい」。
唐突な上モノが「温かい」。
ボーカルが「温かい」。
ヘンな詞が「温かい」。

「技術や演出」じゃなくて「音の根っこ」。
その「手触り」が、これほどに「温かい」。
轟音にまみれて、ヘロヘロに歌うオッサン。
このオッサンほど「温かいギターロック」。

鯱狗は、他に知らないですよ!w



その「手触り」には「四季」がある。

◆春
Little Fury Things (終盤の音の洪水は必聴!)

Nothin’s Goin’ On (鯱狗のイチオシ!)

◆夏
The Wagon (自転車に乗りたくなるw)

Thumb (シロップのように溶けていく、夏)

◆秋
Forget The Swan (最初期からこの完成度よ)

I’m Insane (この上モノ使いは反則w)

◆冬
No Bones (胸が…締め付けられる…)

Alone (底無し沼のように沈んでいく、冬)

とまぁ、代表曲を軽く並べただけで、
一年を通して聴ける名曲しかない!(笑)





二人が、鯱狗にとって「アイドル」なら。

Dinosaur Jr.のJ.マスキスは「ヒーロー」!

鯱狗にとっては「理想のオッサン」ですw

…こんな曲を書きまくっていて、
趣味がスケボーとゴルフって(爆)。

ホンマに、得体の知れないオッサンwww



ではでは!

「無償の愛」という「無責任」な「語義矛盾」

✳︎

恥ずべき者を恥ずべきままに愛せるか?

理由付きの、括弧の付いた愛する営みのなかで、その理由と括弧が取り除かれると愛する営みが終わる。理由と括弧が外された上にある生々しさすら愛するなんてできるんだろうか?



……なかなか、哲学的な「命題」を、
目にする機会がございましたモノで。

約10年前、最後にお付き合いをさせて頂いた女性に、
フラれた時のコトを、思い出したりしまして(苦笑)。



曰く。

「愛されている実感が無い」と。

そのヒトは、どうも直前に、
鯱狗を「試された」らしく。

鯱狗を「怒らせようとした」そうなのです。
(鯱狗の人間性をバカにしたり)
(元カレとイチャついてみたり)

でも、鯱狗は「怒り」も「叱り」もしなかった。

ソレで「踏ん切り」が付いた、と。



約10年前ーーつまり20歳前後の鯱狗には、
何やらチンプンカンプンだったのですが。

30歳になった、今の鯱狗には、
朧げながら、理解る気がします。



向こうから告白された経緯もあってなのか。

鯱狗は、そのヒトに。ほとんど、まったく。

「見返りを求めなかった」んですよね(苦笑)。



鯱狗はそのヒトに、鯱狗なりの、
「愛情」は持っていたつもりで。

……ええ、「見掛けの上」では。

いわば「無償の愛」を、抱いていた。



断言しますが、
ソレは「致命的な誤り」でした。



「見返りを求めなかった」んじゃない。

「見返りを期待していなかった」んです。



……相手にとって、ソレは「屈辱」でしょう。

愛する人」に、
「何の期待もされていない」なんて。

ヒトをバカにするのも、大概にしろと。

そんな次元で、
鯱狗は、そのヒトを「傷付けていた」。

まぁ、端的に言って、アホでクズです(失笑)。



……………………。



ネットで、定期的に取り上げられる、
『ラーメン才遊記』という漫画にて、
こんな「名言」が、あるんですよねw



「金を払う」とは、仕事に責任を負わせること。
「金を貰う」とは、仕事に責任を負うことだ。
金の介在しない仕事は、絶対に無責任なものになる。



コレは「仕事論」ですが。鯱狗の考えでは、
「仕事→愛」「金→見返り」に変換しても。
間違いなく「成立する」と、そう思います。



「無償の愛」は「無責任」なんです。



というか、むしろ、
「見返りを求める」コトこそが、
「愛の本質」であって。

「無償の愛」とは「語義矛盾」であるとすら。

鯱狗は、大真面目に、そう考えています(苦笑)。

「見えざるピンクのユニコーン」と、
同じかソレ以上の「語義矛盾」かとw



以上を踏まえて、冒頭の「命題」に、
鯱狗なりの「回答」を寄せるのなら。



「理由の括弧を付ける」という、
ソレこそが、まさに「愛」だと。



そんなコトを、考えた次第でございましたw

ステキな「愛」を、鯱狗は応援しますよ!(≧∀≦)

「愛」は、惜しみなく「欲して」。そして。
「愛」は、惜しみなく「奪う」のです!(爆)





……とまぁ、偉そうにグチグチと書きました、が。

鯱狗にとっての「個人的な問題」。

「他人にナニを期待すれば良いのか」
「他人にどんな見返りを求めれば良いのか」

肝心のソレが、未だに「判っていない」。

三十路の厨弐病きめぇwwwで、
全然構わない、ってか、まさに、
ソレが「病巣」の気もする(苦笑)。

鯱狗はアスペルガーでも、サイコパスでもない。
些かの「スティグマ」も、持ってはいない。
ごく普通に、涙脆い共感性を持った、凡人。

とりあえず、ソレが判るまでは、
恋愛とかはムリだ。資格が無い。

……少なくとも。

「正解」を「頭で考えちゃイケナイ」ってのは、
何となく直感として、理解る気はするのですがw



取り留めの無くなったトコロで。

ではではw

【新日本プロレス】KUSHIDAとBUSHIの件より、雑感

✳︎

BOSJで優勝しようが、
KUSHIDAの挑戦は「ゴリ推し」。

BOSJで負けてようが、
BUSHIの挑戦は「カッコいい」。

この「流れ」を、
ファンが「認める」としたら。



“プロレス”とは、
「戦い」じゃなくて「お芝居」だと。
ファンが「認める」も同然ーーって。



鯱狗の「考え方」は、きっと、
「古い」んでしょうね(苦笑)。
一応、まだ(?)30歳なんですがw

武藤に、ドラスク→足4の字で負けた、高田が。
「前田が泣いているぞ!」と非難された「意味」。

もしかして、
今の「主流のファン」の方には、
マジで「理解らない」のかも(汗)。



……ソレって、
猪木の“ストロングスタイル”より、
むしろ、猪木が最後まで「恐れた」、
大仁田の“邪道プロレス”に近い気が(爆)。

とはいえ、大仁田は、あくまで、
「外敵」として、単身で乗り込んだから、
まだ「カッコいい」気はするんですよねw

集客と視聴率を稼げなきゃ、
速攻で「切られる」ところを、
怪物級のプロレス頭とバイタリティで、
長州まで辿り着いた、その「過程」は。

紛れも無く、
「生き残りを懸けたシュートな戦い」
だったワケで。



言いたかないケド、内藤を筆頭にLIJは、
「新日の契約選手」であるワケであって。

LIJの「反骨」は、冷めた言い方をすれば、
「企業の計算尽くによる商業的な反骨」と。

何だか「ファック・80’sヘアメタル」な、
グランジ精神バリバリみたいな見方ですが(殴)。

まぁ、大仁田FMWにインスパイアされた、
ECWのポール・ヘイマンなんかはズバリ、
「プロレス界のNirvanaを目指した」と、
明言してたりするんですケド。閑話休題w



そこんトコロでは、皮肉にも、
“ブック”の存在を「公言」した、
アティチュード全盛期のWWEの方が、
ファンに「“ブック”を意識させない」。

いわば「ショーのマナー」に長けていた。

ベビーフェイスが、ヒールに、
「理不尽に負ける」時には、必ず、
その理不尽さを「可視化」しましたから。

凶器に、介入に、悪徳レフリーに、
あからさまに偏向したルールにw

つまりは、あの手この手の、
「魔王ビンスの忖度(爆)」を、
ハッキリと「可視化」していた。

ソレに対して、今回の、
内藤とヒロムのタップ負けは、
少なくとも「リング上」では、
一応は「正々堂々」だったーーんですよね?
いや、つまり鯱狗は、観ていないモノで(殴)。



だとしたら。その負けの「理不尽さ」は。

もはや「不可視の“ブック”」を、
ファンは強烈に「意識する」しかない。



ーーソレは「メタ視点」ですよ。

興行側が、観客に、
「メタ視点を要求する」のは。

「ショーのマナー違反」なのでは??

そして、ソレは、果たして、
未だ“ストロングスタイル”の「看板」を、
「下ろしたワケでもない」新日としては、
どーなんでしょーか、という「疑問」も。



……とまぁ、つまり鯱狗は、
そーゆー「古い人間」ですので。

新日ファン、辞めちゃいまして(苦笑)。

(あとは、ヒロムとオカダに「プロレスラーは超人」思想を「語らせた」ことへの「怒り」が大きい)



だからコレは、もはや「外側」にいる、
30歳の「老害」の「戯れ言」です(殴)。

「現役のファン」の方は、
あまり「真に受けない」で下さい。

鯱狗より、本当に、心からのお詫びです。



ごめんなさい。



以上、御拝読のほど、誠にありがとうございました。

【最重要論考】“ファシズム”並び“スターリニズム”の「定義と概論」/「虚数i」という「世紀の発明」

✳︎

以下は、鯱狗が「理解」する、
ファシズム”並び“スターリニズム”を、
できるだけ「平易」に説明せんと試みる、
いわば【最重要論考】である。

スターリニズム”とは、
「《理想》への習合」を目的とした、
一連の政治運動である。

スターリニズム”は、大きく分けて、
“母性的スターリニズム”と、
“父性的スターリニズム”の、
二つの「潮流」が、現在、存在する。

前者は“リベラリズム”と呼ばれ、
後者は“(いわゆる)ファシズム”と呼ばれる。

無論、我々“ファシスト”は、
“父性的スターリニズム”を、
“(いわゆる)ファシズム”呼ばわりされるのが、
極めて「不愉快」である(笑)。

“父性的スターリニズム”を、
適切に「別称」するならば、
“ナチズム”と呼ぶのが正しい。

リベラリスト”と、“(いわゆる)ファシスト”の、
ありふれた「政治闘争」は、
我々“ファシスト”に言わせれば、
“スターリニスト”の「内ゲバ」でしかない(失笑)。

《理想》とは、
「多数派の最大公約数」である。

従って、“民主主義”とは、
自明的に「多数派」であるところの、
“スターリニスト”の「陰謀」である。

故に、“ファシスト”は、
“民主主義”に「反対」である。

《メイク・ゲルマン・グレート・アゲイン》という、
《理想》を掲げて、“民主主義”により、
政権を奪取した“ナチ党”が、その「本質的」に、
“スターリニスト”であったことは、自明である。

《メイク・アメリカ・グレート・アゲイン》という、
《理想》を掲げて、“民主主義”により、
政権を奪取したトランプが、“ファシスト”ではなく、
“ナチ”であったことも、すなわち、自明である。

ファシスト”ではなく、ことごとく“ナチ”である。

“民主主義”に「反対」である“ファシズム”は、
そもそも「大衆の支持」を「必要としない」。
ファシスト”は、コソコソせず、
堂々と「愚民思想」を主張する!

ファシスト”が、もし、万が一にも(苦笑)、
政権を奪取するのであれば、その「方法」は、
“ローマ進軍”のように“アンチ民主主義”的な、
「クーデター」でなければ、ならない。

……なお、“ローマ進軍”が「成功」したのは、
これはもう、まったくの「偶然」である(爆)。
“スターリニスト”が信奉する「科学的必然」では、
罷り間違っても、ない!(笑)

大抵は“ミュンヘン一揆”のように「失敗」する。
その際にも、我々“ファシスト”は、
“ナチズム”の「誘惑」に屈さぬ、心構えを要する。

以上の通り、“ファシズム”とは、
「“スターリニズム”への抵抗」を目的とした、
一連の政治運動である。

リベラリズム”も、“ナチズム”も、
スターリニズム”の「一環」である以上、
ファシスト”は、両者に「反対」である。

そして「多数派の最大公約数」である、
《理想》にも「反対」であることから、
ファシスト”は、自明的に「少数派」である。

ファシズム”は、
《理想》を「掲げない」という点で、
「唯一」の、稀有な政治運動である。
(“アナキズム”は「政治運動ではない」として)

「多数派」の“スターリニスト”は、
「政治的目的のために団結する」。

「少数派」の“ファシスト”は、
「団結することが政治的手段である」。

何故なら、《理想》に「反対」である、
「少数派」の“反スターリニスト”は、
そのままでは「細分化」されており、
「多数派」の“スターリニスト”により、
「各個撃破」を免れ得ないからである。

ファシズム”とは、いわば「虚数i」である。

虚数i」すなわち「イマジナリーナンバー」は、
「マイナスになる平方根」というアイデアから、
「発明」された「便宜的な仮定」が出発だった。

ファシズム”も「同様」である。

《理想》を「掲げない」ことから、
そのままでは、自明的に「団結できない」、
「少数派」の“反スターリニスト”が、
「団結するための便宜的な仮定」こそが、
ファシズム”という「発明」なのである!

……控えめに言っても、
我らが“ドゥーチェ”ことムッソリーニは、
世紀の「天才」である(爆)。

もし、万が一にも、鯱狗が“ファシズム結社”を、
立ち上げるなら、シンボルは《i》としたい(笑)。

従って、“ファシスト”が、
最も注意深く「忌避」せねばならないのが、
ファシスト”の「内ゲバ」である。

「多数派」の“スターリニスト”と違って、
「少数派」の“ファシスト”は「脆弱」であり、
内ゲバ」に明け暮れるような「余裕」は無い。

そこで“ファシスト”に求められるのは、
徹底した互いの「無関心と不干渉」である。
決して「尊重」で「あってはならない」。

何故なら、「尊重」は最終的に、
「互いを尊重できない者は“敵”だ!」という、
ありふれた“母性的スターリニズム”の、
「ヒステリー」に行き着くからである。

「少数派」の“ファシスト”は、
「団結することが政治的手段である」。

「“スターリニズム”への抵抗」という、
「政治的目的」を、ゆめゆめ、忘れてはならない。

以上の通り、
《理想》を「掲げない」ことから、
ファシズム”には、もし、万が一にも、
「政権を奪取した場合」における、
目指す「政治」は、自明的に「無い」!(笑)

だから、我らが“ドゥーチェ”の率いた、
ファシスト党”も、政権の奪取後は、
ぶっちゃけ、グダグダであった(苦笑)。

そして、それは“ファシスト”として「正しい」!

《理想》を「掲げた」ヒトラーの“ナチ党”が、
政権の奪取後に、“ファシスト党”より遥かに、
シッカリしていたのは、それは取りも直さず、
その「誤り」の「証左」であると言って良い。

それはすなわち、“ナチ党”が「本質的」に、
“スターリニスト”であったことの「証左」だ。

ファシスト”の「最終目標」は、
“スターリニスト”から「政権を奪取する」。
「そこまで」なのである!

以上の、鯱狗の“ファシズム”への「理解」が、
決して「荒唐無稽ではない」ことは、以下の、
代表的“ファシスト”の言葉を、参照のこと(笑)。

ファシズム”の偉大な「発明者」
ファシスト党”の“ドゥーチェ”

「我々は、時と場所と状況に応じて、貴族主義と民主主義、保守主義進歩主義、反動主義と革新主義、合法主義と非合法主義を、思いのまま使い分けようではないか」

我々は政策綱領も、約束された土地も信じない。我々は個人に戻ろう。我々は個人を高め、強め、より多い自由、より幅広い生活を与える、あらゆるものを支持しよう。我々はまた、個人を抑圧し、低める、あらゆるものと戦うだろう

「《万人の》が、民主主義の主要な形容詞であった。その形容詞は、十九世紀を埋め尽くした。今や、言うべき時である。《選ばれた、少数の》と」

「すべての色彩を消し去り、すべての個性を平板化する、《匿名にして灰色の民主的平等主義》は、今、息絶えんとしている」

日本を代表する“ファシスト
“我々団”の“総統”
外山恒一、曰く

私には建設的な提案なんか、一つも無い!今はただ《スクラップ&スクラップ》、すべてをブチ壊すことだ!

諸君!私は諸君を軽蔑している。この下らない国を、そのシステムを、支えてきたのは諸君に他ならないからだ。正確に言えば、諸君の中の多数派は、私の敵だ!」

「私は、諸君の中の少数派に呼び掛けている。少数派の諸君!今こそ団結し、立ち上がらなければならない。奴ら多数派はやりたい放題だ。我々少数派が、いよいよもって、生き難い世の中が、作られようとしている!」

少数派の諸君!選挙で何かが変わると思ったら大間違いだ!所詮、選挙なんか多数派のお祭りに過ぎない。我々少数派にとって、選挙ほど馬鹿馬鹿しいものは無い。多数決で決めれば、多数派が勝つに決まってるじゃないか!

私は、この国の、少数派に対する迫害に、もう我慢ならない!少数派の諸君!多数派を説得することなどできない!奴ら多数派は、我々少数派の声に、耳を傾けることは無い!奴ら多数派が支配する、こんな下らない国は、もはや滅ぼす以外に無い!」

「改革なんか、いくらやったって無駄だ!今、進められている様々な改革は、どうせすべて、奴ら多数派のための改革じゃないか。我々少数派は、そんなものに期待しないし、もちろん協力もしない!我々少数派は、もうこんな国には、何も望まない!」

我々少数派に残された選択肢は、ただ一つ。こんな国は、もう滅ぼすことだ。ぶっちゃけて言えば、もはや政府転覆しかない!

最後に、一応言っておく。私が当選したら、奴らはビビる!私もビビる!



外山恒一総統の、“ファシズム”論文集(必読!!!)



以上が、“ファシスト見習い”を自称する、
鯱狗の“ファシズム”への「理解」である。



……さぁ。



「少数派」の、“反スターリニスト”の、諸君!

今こそ、鯱狗と共に!

ファシズム”に、目覚めようではないか!

《匿名にして灰色の民主的平等主義》に。

“我々”は、断固として、叛旗を翻すのである!



くたばれ、“スターリニズム”!!!

クソ食らえ、“民主主義”!!!



以上!!!!!

「邪悪」とはナニかって?

✳︎

ソレは、だね?

自分が「愛したいモノ」を「愛して」。
自分が「憎みたいモノ」を「憎んで」。

“ケダモノ”のように「生きる」ことさw

ーーだからこそ“ニンゲン”は、ちゃんと。

“ケダモノ”を「駆除」しなきゃ、いけないよ?

その“ニンゲン”の「意志の勝利」こそが。



すなわち“スターリニズム”なのだから。



“Bullet With Butterfly Wings”
抑圧された“獣性”に対する「自覚と解放」。

“Kids Are United”(Sham 69 cover)
アナキストの連帯」という矛盾した“高揚”。

“The Fight Song”
“ニンゲン”による支配への「宣戦布告」。



ソレらが、渾然一体となった「果て」に見出した。

“ケダモノ”の“ケダモノ”による“ケダモノ”のための。



“自警団”



ーーソレが、すなわち“ファシズム”なのさねw

“政府”なんて、そんな「立派なモノじゃない」。
ただの、ヒトデナシのゴロツキ集団だから(笑)。



だからこそ“ニンゲン”は。

すなわち「アナタ達」は、ちゃんと。



“ケダモノ”を「駆除」しなきゃ、いけないよ?



少なくとも、鯱狗は。
それなりに「擬態」して。
「アナタ達の社会」の中に。
「紛れ込んでいる」のだから。



ではではw