社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

今更ながら17.1.4を振り返る(オカダ編)

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棚橋を「踏み台」に、あまりに「劇的(ドラマチック)な結末」を内藤が演出した「セミメイン」のIC選手権。

それは「メイン」のオカダに向けられた「シュート」であったと、鯱狗は妄想しました。

そして、オカダはそれを「理解」していた、とも。
…褒めてるんだか貶してるんだか分からない「サラリーマン・レスラー」と、鯱狗は何度もオカダを評してきましたが、オカダも29歳にしてキャリア13年(!)の、紛れも無い新日トップ勢です。少なくとも「ミスター鈍感力」の「某殿(今度、別記事でフォローしますから許して!)」ではございません(苦笑)。

オカダは「メイン」の入場時点で、自分が「セミメイン」の内藤に「シュート」を仕掛けられたことを、「理解」していたと、ここでは妄想します。

これまでの、内藤を「主役」に引き立てるための「作られたチャンピオン」「作られたナチュラルヒール」としてのオカダの「演出」は、木谷オーナーの指示に基づく「ワーク」であったという鯱狗の見解は、《オカダ推し妄想論》の過去記事の通りです。
ただしそれは、あくまでオカダもまた、「主役」である内藤の「ライバル」に収まり続ける、いわば「共存共栄」の「大前提」あってのモノです。
両国で内藤が負けブックを飲まされたのも、木谷オーナーが、まだこの「新日版WWEアティチュード路線リメイク」という「ストーリーライン」を「継続」する「価値」があると判断したから、と鯱狗は論考しました。

しかし、今回。
内藤の「企み」は、棚橋もろとも、オカダまでも「完全に超越して、最終決着を付ける」ことなのです!
だから、鯱狗はそれを「シュート」と表現するしかなかったのです。

…否応無しに始まってしまった「メイン」の試合。
中盤に至るまで、オカダの動きは悪かった…というか、噛み合っていなかったように見受けられました。

鯱狗はそれを、オカダが「パニック」に陥りながら、必死に「考えていた」からだと、妄想しております。

「セミメイン」で内藤が最大限に活用した「武器」…すなわち「歴史」を、乗り越える「対抗策」を。

ここでようやくながら、オカダの今回の対戦相手…バレット・クラブのリーダーであるケニーのことを考えてみましょう。

…内藤がオカダを破ってIWGPを初戴冠した両国。
ケニーはジ・エリートとして、復帰戦のヨシタツを始めとした本隊と、NEVER6人タッグを争っておりました。

…内藤がオカダのリマッチに破れてIWGPを陥落した大阪。
ケニーは、本隊のエルガンと、新日初のラダーマッチで、IC選手権を争っておりました。

お分かり頂けましたでしょうか。

オカダ率いるCHAOSと内藤率いるロス・インゴベルナブレスが抗争を続けている傍ら。
ケニー率いるバレット・クラブの抗争の相手は、いわゆる本隊でした。

そうです。
オカダvsケニーというのは、極めて「因縁」の…すなわち「歴史」の浅い抗争なのです。

これには、メインとなる「ストーリーライン」が、

「ヒールなのに体制側」のオカダCHAOS
vs
「反体制というベビー」の内藤ロスインゴ

という、割と「スマート」寄りな「ねじれた」構造だったことも、影響しているかと思われます。

かねがね「過度のマニア寄り」となることを戒めていた木谷オーナーのこと。
観客が素直に「ヒールの反則・介入」に「ブーイング」を送れる、より「正統派」のアングルとして、本隊vsバレット・クラブの抗争を並行させていたのではないかと、鯱狗は推察しております。
そう考えれば、激しい試合の中でも「コミカル・ヒール」寄りのケニーは分かり易く、確かに適任だったでしょう。

…だが、しかし。

これまで「並行」していても「交差」に乏しかった、オカダvsケニーが「メイン」を張るということは。

棚橋という最上級の「年代モノの踏み台」を手にした「セミメイン」の内藤からしてみれば、1.4の大舞台にして、「シュート」を仕掛ける「最大の好機」だったのではなかったでしょうか。

突き付けられた「シュート」。
オカダは「考えた」。
「対抗策」を「考えた」。

その時。
目の前にいた「相手」は、ケニー・オメガ

そして、オカダが下した「結論」。

「ズラした」のです。

「凄さ」を。「価値」を。

内藤が「セミメイン」で魅せた「エモーション」から、

ケニーが最も得意とする、過剰なまでの「フィジカル」に。

…確かに、オカダの持ち味、というか「テンプレ(苦笑)」は、相手の技を受けまくってからの、ドロップキック→ツームストンレインメーカーという、ハルクアップ的な「お約束」の「逆転劇」。
そこには木谷オーナーの「戦略的な指示(詳細は《オカダ推し妄想論》御参照)」があると見ている鯱狗でありますが、実際、オカダ自身の「プロレス観」も、かなり「クラシカル」寄りだと思います。

そのオカダが、ケニーの雪崩式ドラゴンスープレックスという常軌を逸した技を、モロに受ける。
(アレは明らかに、木谷オーナーの「承認外」の攻防では?…という点の妄想考察は、追って別記事)

それ以上に、ケニーに対して、場外テーブルへのショルダースルーという危険技を仕掛ける。

ハッキリ言って、「オカダらしくない」です。オカダの「テンプレ」を「超えて」いる。
過剰なまでに、ケニーの土俵に積極的に「乗り」に行っています。

…もし、それが。

「歴史」を背景に、内藤が魅せた「過剰なエモーション」に「対抗」するための、「過剰なフィジカル」だったとしたら。

それは「ズラし」です。
止むを得ずに選んだ「消極的」な「選択」です。

そしてその「選択」は、「地獄」に続く一本道への「入口」ともなりかねないのです。
(追って別記事)

…それが、17.1.4メインのオカダvsケニーを、鯱狗があまり評価しない「理由」です。

ただ、結果的に。

ギリギリのところで、オカダは、内藤に仕掛けられた「シュート」を、「引き分け」以上のところで踏み止まることに「成功」したとも言えます。

考えてもみて下さい。

もし、仮に「メイン」のオカダvsケニーが、「いつも通り」の「好勝負」に留まっていたとしたら。

完全に、「セミ」に「食われて」ましたよ。

ファンの間で賛否両論(試合時間や危険技の是非など)ありつつも、レスラー間やオブザーバー誌を始めとして、全体的には、

「セミまでに上がりきったハードルを、更に乗り越えてみせたメイン」

と「評価」された、オカダvsケニーの1.4。

それが、もし「好勝負」止まりだったなら、「賛否両論」では済まなかったでしょう。

「セミがメインを食った」

そんな「評価」が「大勢」を占めてしまった時点で、オカダは、「主役」である内藤の「ライバル」の座から「転落」します。

内藤の「ライバルでなくなった」オカダなんて、もはや「作られたナチュラルヒール」では済みません。

ただの「プロレスファンからの嫌われ者」ですよ。
「ヒール」と呼べる「商品価値」は、その時点でもはや「ゼロ」です。

…そうなればオカダは、「ヒールに対するブーイング」を超えた、「存在を拒絶するブーイング」を浴びる存在にまで「失墜」していたかもしれません。
その時には木谷オーナーも、「新日版WWEアティチュード路線」の「継続」という「シナリオ」を、大幅に見直さざるを得なくなったことでしょう。

大袈裟に妄想すれば、それだけのインパクトがあった、内藤が「セミメイン」で仕掛けた「シュート」。

そして、あの「サラリーマン・レスラー」オカダが、珍しくも「プロレスラー」としての本能で、「引き分け」以上に「対抗」してみせた「メイン」。

オカダは、「死を覚悟した」と。

…鯱狗は、複雑な気持ちです。

手放しには称賛できない、オカダの「ズラし」。

「消極的」な、そして「危険」な「選択」。

そんな妄想に囚われた、17.1.4でした…。