社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

怪奇派レスラー考…究極の怪奇派は◯◯◯◯だ!

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前記事にて、田口ジャパンvsデ・ハポンの抗争(?)に触れてから、ふと考えたコト。。。

某巨大掲示板で盛り上がっていたネタに、

「EVILが普通に牛丼を食べてる写真が流出したら、スキャンダルだよね?」

というのがございましてw

俺たちのEVILは普段コウモリとか食ってんだよ!!
お前らEVILを餓死させるつもりかよ
女性関係はどうなってるんだろうな。やっぱサキュバスとかと遊んでるのかな
どさくさにまぎれてEVILに謎属性を追加していくのやめろwww

などなど、大いに笑かせて貰ったワケですがw

…ただ、これって割と「プロレス」の「本質」を突いた話だと思うんですよ。

つまり、「プロレス」は、

「スポーツ」ではなく、
「ショー」であるということ。

アメリカでは、ビンスの「スポーツ・エンターテインメント」宣言。
日本では、ミスター高橋の著書『流血の魔術』によって。

「プロレス」は、本質的に「八百長」を議論する「対象」ではなくなりました。

象徴的なのが、プロレス「だけ」で当たり前のように言われる、技の「説得力」という用語。
マイク・タイソンのパンチの「威力」を議論することはあっても、「説得力」を議論することはないですよね?
つまり、そういうコトです。

「説得力」、或いは「サイコロジー」もそうですが、
その究極的に意味するところは、ようするに「演技力」。

WWEが誇る「ピープルズ・チャンプ」ことザ・ロック
その「業界一シビれる技」こと「ピープルズ・エルボー」。
或いは、名人芸の域に達した、vsストンコでの「スタナー受け」などなど。

オカダ推しの鯱狗は、実のところロック様信者でもございましてw
全盛期の彼こそ、ある意味で「プロレス」を「体現」するモノであると考えていたりします。

もちろん、プロレスが「演劇」と大きく異なる点として、
その「演技」のために、実際に肉体を「痛め付けている」点はございます。

かつて、嫌がるテイカーに、無理矢理、9mの高さの金網から自分を「突き落とさせた」、
狂人マンカインドことミック・フォーリーは、いみじくも自伝でこう語っております。

「『スポーツ』だったら、その時点で試合は即終了だっただろう」
「でも、これは『インチキのショー』だから」
「たとえ骨が砕けようが、折れた歯が唇から鼻まで貫通しようが」
「ショーは続けなければならない」
  (The show must go on)

そう…WWEを御視聴の皆様なら、御馴染みのフレーズ。

「Please, don’t try this at home」
  (絶対に真似しないで下さい)

それが、「プロレス」という「ショー」なのです。

…スイマセン、話が激しく横道に逸れました。鯱狗の悪いクセです(平謝り)。

さて、プロレスが「スポーツ」ではなく「ショー」であるという「前提」を受け容れた時に、
実はファンの側にも、無意識の「変化」が訪れます。

それは、
「ショー」を「共同幻想」として受容すること。

…なんだか難しい表現をしてしまいましたが、ようは単純な話です。

映画『ターミネーター』で、例のテーマ曲(ケニーのアレね)と共にスクリーンに現れるのは、

殺人サイボーグ「T-800」であると受け容れること。

その心理的なメカニズムは、
「ショー」である「プロレス」にもまた、適用されるという話をしているワケです。

…これでようやく本題に戻れます(苦笑)。

冒頭に紹介した、

「EVILが普通に牛丼を食べてる写真が流出したら、スキャンダルだよね?」

というネタは、つまり

「俺達ファンが楽しんでいる『共同幻想』を壊してくれるなよw」

という、「ケーフェイ」の話になるんですよね。小難しく言語化すると(苦笑)。

…ここで「プロレス」が独特なのは、
「リング」という「舞台」を降りても、「俳優」に「役柄」を「演じ続けていて欲しい」という気持ちが、
ファンの間に働くことなワケですが。

何故なのかしら…もしかして、「プロレス」が「ショーじゃなかった時代」(狂人ギミックは、本当に「狂人」だと純粋に信じていた時代)のDNAが、
今でも我々ファンの心に根付いているからですかね?…っと、閑話休題w

というワケで、本記事のテーマ。

鯱狗が考える「究極の怪奇派レスラー」は…。

(ダカダカダカダカダカダカ…ジャーン!)

WWEが誇る「地獄の墓掘り人」「アメリカン・バッドアス」こと、

ジ・アンダーテイカー!










ではなくて!(殴)

DDTが誇る「地獄の墓掘り人形」「オランダ・バッドアス」こと、

ヨシヒコ選手です!!!



嗚呼、ゴメンナサイ!
御客様、中身の入ったペットボトルを投げ付けないで!!(平謝り)

…いや、だって、つまりですね?

「怪奇派レスラー」の「本質」は、
「普通のレスラー」にはあり得ない、殊更に強調された「共同幻想」により、
ファンを楽しませることだと、鯱狗は考えたワケですよ。

それならば。

その、公称3パウンド(約800g!)の、スーパー軽量級の「肉体」に詰まっているのは、

相手レスラーと、
味方セコンドと、
レフェリーと、
実況と解説と、
そして観客の。

純度100%の「共同幻想」。

そしてプロレスラーにはお決まりの、嘘か真か定かならぬ「伝説」のエピソード。

ヨシヒコには、

WWEのバックステージで、TAJIRIがスーパースター達とヨシヒコのビデオを観ていたところ、
通りがかった「ホウキともプロレスができる男」と賞される「リビング・レジェンド」、あのリック・フレアーが

「これぞプロレスだ」

と「お墨付き」を与えた。

という、示唆深い鉄板ネタもございますw

なれば、鯱狗が認定する「究極の怪奇派レスラー」は、
これはもう、ヨシヒコ選手しかあり得ないでしょう!(力説)



「究極の怪奇派レスラー」

すなわち

「究極の共同幻想

といったところで、今回の鯱狗の妄想は終了!

御拝読のほど、誠にありがとうございました!



嗚呼、だから、中身の入ったペットボトルを投げ付けないで!!(悲鳴)