The Darkside of “G”…?
✳︎
「親友」の「危機」を聞き付けて、慌てて馳せ参じるも、
「可愛い猫」に気を取られて、思わず「イイね」を押す。
一見すれば、どーしよーもない「笑い話」。
…でも「普通に考えて」。
「そんなコト」あり得るだろうか?
「親友」のコトを「本当」に「心配」していたのなら。
ソレは、むしろ。
「可愛い猫」がいたら「イイね」を「押せるぐらい」に。
「リラックスした状態」で。
「コトの成り行き」を「高みの見物」していたのでは?
だから、その「翌日」に。「平然」と。
「地元の友人(?)」と「宅飲み新年会」を開いて、
ワザワザ、その「写真をTwitterに上げた」のでは?
鯱狗の中で、ずっと引っ掛かっていた「言葉」。
「今が一番楽しい」
「俺から文句を言おうとは思わないけど、彼がそうやって言ってるってことは、組んでいた時から常日頃、そう思っていたんだろうなと」
「彼も結局、自分のために出ていったんだろうし。今回の俺もそうだし」
「やっぱり…人間は変わっていくんですよ」
ソレらが、もし。「天然」などではなく。
「冷めた苛立ち」と。
そして「一抹の寂寥」を。
ギリギリのところで「オブラート」に包んだ。
「本音(シュート)」だったとしたら?
私達は「焼かれた写真」を見る。
「焼かれる前のネガ」の「反転した世界」など。
「妄想」したって、意味の無いコトだけど。
…ただ。
「自分を小馬鹿にしている相手」と、
「表向き仲良く付き合う」ってのは、
「ストレス」が溜まります、ホント。
「小馬鹿」にするぐらいだから、
相手はバレていないつもりだったりして。
そんな相手に気を遣って、馬鹿を装って。
疲れるんですよ…「道化」は(苦笑)。
プロレスに出会う前は、無気力な「虚無」だったと。
だから、プロレスに「命を救われた」のだと語った。
その「闇」。
そして今。
「彼」はナニを「想っている」のだろう。
以上、クソ記事でした、ハイ。