社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

The Darkside of “G”…?

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「親友」の「危機」を聞き付けて、慌てて馳せ参じるも、
「可愛い猫」に気を取られて、思わず「イイね」を押す。

一見すれば、どーしよーもない「笑い話」。



…でも「普通に考えて」。



「そんなコト」あり得るだろうか?

「親友」のコトを「本当」に「心配」していたのなら。



ソレは、むしろ。

「可愛い猫」がいたら「イイね」を「押せるぐらい」に。



「リラックスした状態」で。

「コトの成り行き」を「高みの見物」していたのでは?



だから、その「翌日」に。「平然」と。

「地元の友人(?)」と「宅飲み新年会」を開いて、
ワザワザ、その「写真をTwitterに上げた」のでは?



鯱狗の中で、ずっと引っ掛かっていた「言葉」。



「今が一番楽しい」

「俺から文句を言おうとは思わないけど、彼がそうやって言ってるってことは、組んでいた時から常日頃、そう思っていたんだろうなと」

「彼も結局、自分のために出ていったんだろうし。今回の俺もそうだし」

「やっぱり…人間は変わっていくんですよ」



ソレらが、もし。「天然」などではなく。

「冷めた苛立ち」と。

そして「一抹の寂寥」を。

ギリギリのところで「オブラート」に包んだ。



「本音(シュート)」だったとしたら?



私達は「焼かれた写真」を見る。

「焼かれる前のネガ」の「反転した世界」など。

「妄想」したって、意味の無いコトだけど。



…ただ。

「自分を小馬鹿にしている相手」と、
「表向き仲良く付き合う」ってのは、
「ストレス」が溜まります、ホント。

「小馬鹿」にするぐらいだから、
相手はバレていないつもりだったりして。
そんな相手に気を遣って、馬鹿を装って。



疲れるんですよ…「道化」は(苦笑)。



プロレスに出会う前は、無気力な「虚無」だったと。
だから、プロレスに「命を救われた」のだと語った。



その「闇」。



そして今。

「彼」はナニを「想っている」のだろう。



以上、クソ記事でした、ハイ。