社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

【青春タンクデサント】a1「祝福と、喪失と、出逢い」

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    一人称の小説というのは、よろしくない。
    小説というのは、やはり三人称でなければ。一人称の小説は、究極的には、すべて「ジュブナイル」に括られてしまうのだから--。

「……あの、犬飼君?」

    昼休みの教室の片隅で。まったく流行る兆しの無い、書評サイトを更新していた僕に。おずおずと声を掛ける、奇特な女子がいた。
「この間、借りた本、返すね?……どうも、ありがとう」
    ハインラインは『夏への扉』の、文庫版。いつかは原語で読みたいと願うが、あいにく、僕の英語の成績は、推して知るべし、といったところか。
「犬飼君は、今は、何を読んでるの?」
    三つ編みのお下げに、野暮ったい眼鏡。この、姫宮絵里は、戯画的なほどに、古き佳き「文学少女」の風情を、漂わせている。
「……コーミア。『チョコレート・ウォー』」
    これだから、僕は「コミュ症」の誹りを逃れ得ない。
    実際、姫宮は「野暮ったいだけ」であって、地金は、人受けのする美少女といって、差し支えあるまい。瞳がくりっと大きいことが、庇護欲を掻き立てることについては、「絶滅危惧種への寄付金の寡多」の研究を通じて、科学的に証明されていたはずだ。
「……変わってるね、犬飼君は」
    微苦笑を浮かべて、姫宮は続けた。

「犬飼君は、まだ“チューニング”受けてないんでしょ?」

    その話題が出るか。少し、食後の眠気が覚める。
    さて、その件については、何と言い訳をしたものか、などと、思案を始めた、次の瞬間だった。
    ガラガラガラ、っと、立て付けの悪い、教室の後ろのスライドドアをこじ開けた者が、叫ぶ。

「犬飼恭兵は、いるかい!!!」

    フルネームで呼ばれ、反射的に振り返る。
「あいや、駄洒落ではないぞ、決して!」
    ハスキーで明朗で、ついでに間抜けな声を、教室中に響き渡らせたのは。ストレートの黒髪を腰まで伸ばした、見知らぬ女子生徒であった。
「私の名前は、睦美紅子!貴様に、少しばかり、用がある!留守か!?」
    流石に、教室の空気がざわめき出す。明らかに、僕にとっては、気まずい状況だ。目の前の姫宮も、目をぱちくりと--。



    バスッ。



    姫宮の、頭が。
    姫宮の頭が、電子レンジに掛けた卵のように、弾ける。
    姫宮の脳漿が、ビシャリと、僕の顔面を汚す。
    姫宮の眼鏡が、砕けて、床に散らばる。
    姫宮の華奢な体が、隣の机に叩き付けられ、崩れる。
    ブレザーに身を包んだ、姫宮の華奢な体が。
    チェックのスカートが捲れて、パンツが丸出しになっても、姫宮が恥ずかしがることは無い。血に混じって、尿の漏れたらしき臭いが、鼻を突く。

    姫宮絵里は、即死した。
    スナイパーの銃弾に、脳幹を破壊されて。
    享年16歳。

    そして教室は、蜂の巣を突いた騒ぎに見舞われる。
「え!?誰!?誰!!?」
「姫宮さん?マジで!?」
    状況を把握して、やがて、皆が声を張り上げる。
「おめでとう!おめでとう!おめでとう!」
「姫宮さん、バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
「姫宮さんが、幸運にも“祝福”の対象となりました!」
    蜂の巣を突いた狂騒の教室を。僕はこっそりと後にする。何より、顔を洗いたいし、制服の替えを、職員室に貰いに行きたい。一刻も早く。
    廊下に姫宮の血をぼたぼたと滴らせながら、僕はよろよろと、男子トイレへ駆け込む。
    そして、始業のチャイムを聞きながら、僕は個室に倒れ込むように、嘔吐した。
    一通り、胃の内容物を出し尽くしてから、やはりよろよろと、洗面台に向かう。ようやく、姫宮の脳漿を、頬や鼻腔から洗い落として、思わず漏らす。

「……何が“祝福”だよ。クソが」

「『何が“祝福”だよ。クソが』とな?」

    一瞬にして、血の気が引く。--聞かれた?

「貴様の『現状認識』は正しい。そうとも、私達は、まったく『戦時下』にあると、考えるべきなのだから!」
「……誰ですか?」
「睦美紅子だ。この私に、二回も名乗らせるな、“ワトソン小林”君よ」
    多少、安堵しながら振り返り、一方で、聞き捨てならないことを、聞いてしまった。
「……何で、そのハンドルネームを?」
「たまたまな、貴様が、書評サイト《ベイカーストリート怪奇四十番地》を、帰宅の電車の中で更新しているところを、目撃してしまったのだよ」
    思わず、溜息を漏らす。サイトについては、誰にも明かしたことは無かった。
    そう、姫宮絵里にさえ。
「残念だったな。アレは、貴様の彼女だったか?それとも、まだ片思いだったか?」
「……少なくとも、彼女ではなかったです。てか、図々しいにも、程がありますよね?」
    流石に、苛立ちを抑えられない。
    この人は、いったい何者なのだ?
「そうだな。しかし、私は謝らぬさ」
    午後の授業が始まった男子トイレに、堂々と腕組して立つ、この女子生徒は。
「何故なら、この睦美紅子は、その図々しさに足るだけの『美少女』であり」
    姫宮の血塗れの制服を纏ったまま、呆然と立ち尽くす僕を、いわゆる「ドヤ顔」で、真っ直ぐに見下ろして。

「疑う余地無く、『この物語のヒロイン』であるのだからな!!!」

    自称「美少女」にして「この物語のヒロイン」こと睦美紅子は、そう、宣言したのだった。

「そして私は、遅れ馳せながら、二年生にして、ここに、学校非公認の“タンクデサント部”の設立を、宣言したいと思っている。もちろん私が“部長”であり、そこで貴様が、栄えある“部員”第一号であれば良いと考える!」
「タンク……デサント?……はぁ??」
「さぁ、返答や、如何に!」
    思考が、まるで追い付かない。
「ちょ、待っ……何ですか、その、“タンクデサント部”ってのは……?」
    この十五分足らずの間に、あまりに多くのことが、起こり過ぎている。
「ふむ、そうだな……活動内容は、例えば」
    一つ上の先輩らしき睦美紅子は、口元に手を当てて、言葉を選んでいる。
「『“チューニング”の拒絶』であったり」
    背筋を、ぞくりと、冷たいものが走る。

「君が、たった今、亡くした彼女は、まったく“祝福”などではなく、ただの『無意味な犬死』でしかなかったと、堪えること無く、今、ここで、大いに『泣く』ことだ」

    僕が、答えることは無かった。
    ただ、気が付けば、泣いていた。
    泣きじゃくっていた。
    声を上げて。鼻水を垂れ流して。
    それは「あり得ないこと」なのに。
    “祝福”を嘆いて、泣くことだなんて。

「……気は、済んだかい?」

    トイレのタイルに這い蹲って、一頻り泣きじゃくった僕に。睦美紅子が、ハンカチを差し出す。ペイズリー柄に、薔薇の刺繍というのは、少々、いや、かなり悪趣味で、思わず、笑いが溢れる。
「な、何が可笑しい、犬飼恭兵よ!?」
「……いえ、何でも。あと、犬飼でイイです」
    最後まで、よろよろと、僕は立ち上がる。
「それと先輩。一つイイですか?」
    姫宮の血は、既に乾き始めていた。
「先輩は、確かに、文句無しの『美人』ではありますけれど。吊り目でキツい印象ですし、おまけに、その真っ赤なヘアバンド」
    吐瀉物と鉄の匂いが立ち込める男子トイレで、その人は、きょとんとした顔をする。
「ケバいってか、とりあえず『美少女』って感じじゃ、全然、無いっスから」
「な、ぬわにを〜!?」
    職員室に向かって歩き出した、僕の背中で、いきり立ってみせる。

    それが、もしかして僕の初恋だったかもしれない、三つ編みに野暮ったい眼鏡の、姫宮絵里を喪失した日であり。

    書評サイト《ベイカーストリート怪奇四十番地》の、一人称の小説に批判的な管理人である“ワトソン小林”こと、僕、犬飼恭兵が。

    自称「美少女」にして「この物語のヒロイン」こと、ストレートの黒髪と真っ赤なヘアバンドが印象的な、吊り目がちの「美人」、睦美紅子と出逢った日であり。

    僕の、強いて言うならば「青春」であった、“タンクデサント部”が、始まった日であった。