【青春タンクデサント】a2「葬式の帰り、理不尽なB級映画の話題」
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姫宮絵里の葬儀は、町を挙げて執り行われた。“祝福”と言っても、市を挙げるほど「珍しいことでもない」。所詮は、行政の予算との兼ね合いだろうか。
「姫宮さん、おめでとう!」
「姫ちゃん、バイバイ!」
棺の中には、きっと。顎から上の吹き飛んだ、姫宮の遺骸が、横たえられているのだろう。中を見ることは許されず、僕らはただ、祭壇で花に囲まれた、三つ編みのお下げに、野暮ったい眼鏡の彼女が、写真の中で控えめに微笑むのを、仰ぎ見るばかりだ。
姫宮は僕なぞと違い、クラスメイトに友人が多くいた。特に女子の間では「姫ちゃん」と、可愛がられていた。
「……えー、このたびは“絵里を見送る会”に、学校の皆様方、そして町長様の御出席のほど賜りまして、えー、改めまして、感謝のほど申し上げます」
姫宮の父親のスピーチを、ぼんやりと聞き流しつつ、先程の、クラスの女子の様子を思い出す。
確かに、彼女達は、泣いていた。
まるで、卒業式で、互いの門出を祝うように。
その涙は--あの日。
僕が、男子トイレの床に這い蹲って流した、涙や鼻水とは、決して「同じではない」はずだ。
それだけは、誓って、言っても良い。
滞り無く、式次第は済んだ。
ちょっとした事件は、それから起きた。
会場の出口で、参列者に頭を下げて回る、姫宮の母親の方へ。つかつかと歩いていく、真っ赤なヘアバンドの女子生徒が視界を掠めて、僕はぎょっとした。
(……睦美先輩!?)
引き留める間も無く、彼女は、姫宮の母親に相対して。
「此度、絵里さんの“祝福”、お悔やみ申し上げます」
丁寧に、御辞儀をした。
「『お悔やみ』なんて、とんでもございませんわ」
姫宮の母親は、にこにこと、首を横に振る。
「……失礼致しました。こんな『ハレの日』に」
先輩が、改めて、頭を下げる。淡々と、無表情に。
「付かぬ事をお伺いして、よろしいでしょうか?」
「あら、何かしら?」
目をぱちくりとさせる表情で、僕は、姫宮絵里が、母親似であったことを知る。
「絵里さんは、“チューニング”は、もう済まされていたのですか?」
鼓動が、跳ねた。
--僕が結局、本人に、聞けず終いだった「問い」。
「ええ。高校に上がる時に、済ませていたわねぇ」
僕は、その「答え」を。
あっけらかんと、彼女の母親の口から聞くのか。
「そうですか……すみませんでした、お忙しいところ」
「いぃえぇ、お気になさらず。あなたこそ、絵里のために御足労を頂いて、ありがとうねぇ」
会話を終え、踵を返そうとした睦美紅子と、目が合う。
「犬飼恭兵……いたのか」
今度は先輩が、ぎょっとする番だ。
「すいません、盗み聞きしてしまって。あと、犬飼でイイです」
散開する喧騒を避けるように、“タンクデサント部”の僕達は自然と、会場の裏手に向かって歩き出す。
「……悪かったな」
「……何がです?」
「いや、姫宮絵里の、“チューニング”の件」
商売っ気の無い自販機に隣接した、ベンチを見付けた。
「ああ、別にイイですよ」
先輩に腰掛けるよう促して、その背後で、僕は五百円玉を自販機に投じる。
「……知ってましたから」
--嘘は、言っていない、はずだ。
「はい、どうぞ」
「ぇ、あ……すまない、気を遣わせたか」
隣に座って、差し出したアイスの缶コーヒーを、睦美紅子に受け取らせた。ぷしっ、と、気の抜けた音を立てて、プルトップを押し込む。
「先輩も、フツーに喋れるんですね?」
「……まぁな。傲慢なりに、テーピーオーは弁えるし」
その「テー」の発音は照れ隠しなのか、とは、突っ込まないでおく。
「それに、葬式でな。にこにこと、はしゃぐような人間には、なりたくない」
「……さいですか」
「何だ、その、気が抜けた『さいですか』とは。照れ隠しか、何かか?」
噛み合わない会話に、仕方無く、僕は曖昧な、愛想笑いを返した。
安っぽいプラスチック製のベンチに体重を預けて、仰ぎ見るのは、鉛色の曇天。
「“交通戦争”という言葉を、貴様は知っているか?」
甘ったるい缶コーヒーを啜って、唐突に、睦美紅子は切り出した。沈黙を厭うかのように。
「昭和の、話ですか?」
「そうだ。まだ、人が車を運転していた、時代の話だ」
吊り目がちの、力強い眼差しが、僕を見据える。
「年間に二万人近い人が、亡くなっては」
思わずたじろぐ僕を、構うこと無く。
「なんて『理不尽』な話だと、嘆いたそうだよ」
梅雨の匂いの、風が吹く。先輩の長い黒髪を、弄ぶ。
「その『嘆き』の積み重ねが、今の私達の社会を、築いているワケだ。全自動で車が走る、社会を」
そして僕から目線を逸らした先輩は、やはり「美少女」ではなく、「美人」であるように、映った。
「……なぁ、貴様は『不条理』だと、思うか?」
何処か、遠くの方を見つめながら、訊ねられた。
「教室の窓ガラスを割ることも無く、姫宮絵里の命を奪った、“祝福”の銃弾が」
--ソレは、逃れられない。
みんな、知っている。
金持ちも貧乏人も、関係無い。
たとえ、地下室に立て籠もったところで。
“祝福”が、訪れる時には。
ソレを防ぐ手立ては、存在しない。
「……そうですね。きっと『不条理』なんでしょうね」
みんな、知っている。
「ッ、それでは『ダメ』なんだ!!!」
ハスキーで明朗な声を荒げて、いきなり、睦美紅子は、立ち上がった。
「いいか、それでは『ダメ』なんだ!」
呆気に取られる僕を、真っ直ぐに、見下ろして。
「いいか、私達、“タンクデサント部”は!!!」
先輩が、叫ぶ。
「『不条理』と『理不尽』を、明確に『区別』する!」
色褪せた水色のベンチに座る、たった一人の聴衆に。
両手をブンブンと振り回して、演説をする人がいた。
「いいか、貴様の!……貴様の」
一呼吸を、置いて。
「貴様の流した涙だけが。姫宮絵里を、救ったんだ」
静かに。睦美紅子は、僕に告げた。
「誇りに思え。“タンクデサント部”の、一員として」
遠くで、雷鳴の音がした。雨も降っていないのに。
「“タンクデサント部”は、『戦う』ぞ」
無意識の内に、僕は、立ち上がっていた。
「この世の、およそ『理不尽』というヤツと」
真っ赤なヘアバンドを、見下ろす。
「……返事は!!!」
高らかに宣言した、先輩を前にして。
「はい、“部長”!!!」
熱に浮かされたように、僕の、腹の底から。
「うむ、よろしい!」
フッと、緊張の糸が切れた破顔を見せて、睦美紅子は首肯する。そして僕の頭を、くしゃくしゃと撫でた。
「ちょっ、何をするんで、ちょっと!?」
「フッフッフッ、愛いヤツだ、可愛い後輩だ」
にやにやと僕をからかう先輩は、また、ただの「変な美人」に戻ってしまったようである。
「……さて、一雨、来そうだな」
制服のスカートをくるりとはためかせて、バス停のある正門に向かって、先輩が歩き出す。
「だから、ちょっと、待って下さいって!」
姫宮絵里の“祝福”の日に、職員室で替えて貰ったブレザー姿の僕が、後を追う。
それも間も無く、夏服に変わる。
“姫宮絵里を見送る会”の、翌日の日曜は。
朝から、土砂降りであった。