【青春タンクデサント】a5/b1「stigma diary」
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二学年が始まって早々の、春先のこと。
睦美紅子は、放課後。学校の裏手の、満開の桜の木の下に、呼び出されていた。
「睦美さんのことが、好きです。付き合って下さい」
「おおぅ……ド直球、ド真ん中の、告白か」
--薄々、予期はしていた。
好青年、というにはまだ少し若いが、きっと将来は「好青年」になるのだろう、というクラスメイトだ。
「……それでは、私も」
自分のような「変わり者」を、何かと気遣ってくれた。
「ド直球、ド真ん中で、お答えするのが、礼儀だな」
彼の真剣な眼差しは、確かに愛おしいモノだ。
しかし、それでも。
「ゴメンなさい!お付き合いは、できません!」
精一杯に、頭を下げた。
それは、心からの御詫びの気持ちから。
「そうですか……残念です」
瞳を潤ませながら、無理矢理に笑顔を作ろうとする、少年の誠実な態度に、胸を締め付けられる。
--もし、私が。彼の想いを、受け容れたなら。
「……ゴメンなさい……」
きっと彼は、私のことを。
「そんな、謝らないで下さいって」
人並み以上に「幸せ」に、してくれるのだろう。
「ボクの方こそ、驚かせちゃって、すいません」
その時、きっと私は。
「いや、違うんだ。本当に申し訳無いと、思ってる」
その時、きっと私は。
耐えられないほど「惨めな気持ち」を。
味わうことに、なるのだろう。
「……すまない。一人に、させて、くれないか?」
パッと、春風が、桜の花びらを舞い散らす。
「……はい。引き留めちゃって、ごめんなさい」
優しい彼は、きっと、泣くのだろう。私の目の、届かないところで。
(ねぇ?どうして、断っちゃったの?)
私の「頭の中」で。
心配そうに、“染川翠”が、訊ねてくる。
(……ウルサイ。黙れ)
未来の好青年が「また明日」と、校舎裏を後にする。
(私は、まだ)
私の「望み通り」に、私は「置き去り」になる。
(アナタを「赦しちゃいない」んだ……ッ)
この「優しい世界」で。
私は「独りきり」だから。
--私が、まだ、非力な小学生だった頃。
クラスでも中心的な、女子のグループに。
私は「攻撃」を受けていた。
夢見がちで空想癖のある私は、客観的に見て「変な子」であったし。その癖に勉強はできて、教師が問いを出したなら、物怖じせずに手を挙げる子供であった。
小学生の「想像力」では。
それは、ようするに「イヤミなブリっ子」にしか、見えなかったのだろう。
高校生にもなった今なら、流石に理解るが。
当時の私は、やはり「想像力の貧弱」で「非力な小学生」でしかなくて。
お気に入りだった、ピンクのヘアバンドを奪われた私は、泣きじゃくるしか、無かった。
「返してよ!ねぇ、返してよ!染川さん!」
私を「攻撃」するグループのリーダー格であった、染川翠は、今にして思えば。
「ナニ泣いてんの!?ねぇ、ブリっ子ベニ子が、ウソ泣きしてんの?ウソ吐きベニ子のクセに!」
私の「夢物語」を面白がって、可愛がってくれていた、若い担任教師に。
仄かな「憧れ」を抱いていたのではないかと、思う。
「あーもー、ウッサイ!」
今も昔も、体力には自信の無い私を、突き放して。
「ほら、勝手に持って帰んなよ!」
染川翠の手を離れた、ピンクのヘアバンドが。
公園の側溝に、吸い込まれる。
「……チクったら、殺すから。ブリっ子ベニ子」
砂利の上にへたり込んだ私に。
冷ややかに警告した染川翠が、背を向ける。
「……ッ、ヒグッ、どうして、ッ……」
あの「優しくない世界」で。
私は「独りきり」だと、感じていた。
--その後。
祖母の介護の都合で、近距離ながら引っ越した私は。
染川翠とは、別の中学校に進学した。幸運にも。
そこでは「独りきりで生きる術」を学んだ。
それなりに「実り」ある、中学生の三年間を送った。
“赤いヘアバンド”を、愛用するようになったのも。
その頃からだった。
そして。
それは、忘れもしない。
今の高校に上がって、三日目のこと。
「……睦美、さん……?」
ほとんど脊髄反射的に、悪寒が込み上げる。
「……染川、翠……!」
考えるより先に、回れ右して駆け出そうとした、私を。
「待って!!!」
同じ紺色のブレザーを着た、隣のクラスの、ショートカットも爽やかな「旧友」が、引き留めた。
「ッ、は、離して……!」
私の意思を、無視して。
情けなくも、呼吸が乱れる。
「ごめんなさい!!!」
廊下に響き渡る声で、染川翠は叫んでいた。
「ごめんなさい!睦美さん、ごめんなさい!」
「……染川、さん……?」
掴まれた私の腕から、力が抜けるのを感じる。
「ワタシ、睦美さんに、ヒドいことした!」
縋り付いて、今にも泣き出しそうな、少女の瞳に。
「ワタシ、謝りたかった!ずっと、謝りたかった!」
一片たりとも。「嘘」は、見出せない。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
何事かと、遠巻きに他の生徒が見守っている。
「……わ、私、は……」
こんな時に限って。
言葉が、紡げない。
「私は……染川さんの、こと、を……」
私は。
高校生になった、今の、私は。
高校生になった、今の、染川翠のことを。
果たして「赦したい」のか。
それとも--。
バスッ。
染川翠の、頭が。
染川翠の頭が、取り落としたグラスのように、弾ける。
染川翠の脳漿が、ビシャリと、私の顔面を汚す。
染川翠の鞄が、滑り落ち、床に転がる。
染川翠の健康的な体が、壁に叩き付けられ、崩れる。
ブレザーに身を包んだ、染川翠の健康的な体が。
チェックのスカートが捲れて、パンツが丸出しになっても、染川翠が恥ずかしがることは無い。血に混じって、尿の漏れたらしき臭いが、鼻を突く。
染川翠は、即死した。
スナイパーの銃弾に、脳幹を破壊されて。
享年16歳。
そして廊下は、蜂の巣を突いた騒ぎに見舞われる。
「え!?誰!?誰!!?」
「染川さん?マジで!?」
状況を把握して、やがて、皆が声を張り上げる。
「おめでとう!おめでとう!おめでとう!」
「染川さん、バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」
「染川さんが、幸運にも“祝福”の対象となりました!」
蜂の巣を突いた狂騒の廊下で。
私は呆然と、立ち尽くす。その、背後から。
「そっかー、ミドリちゃん、残念だなー」
彼女の友人らしき声が、聞こえた。
「せっかく、一緒に“チューニング”を受けたのに」
視界が、歪む。「世界」が、歪む。
瞳孔が広がるような、名付け得ぬ感覚と共に。
「……ねぇ、染川さん」
染川翠の命を奪った、“祝福”の銃弾が。
「染川さん、私、ね?」
私の。睦美紅子の。
「私、まだ、“染川さん”に。謝って、貰ってない」
胸の奥底深くに、棘のように、突き刺さる。
染川翠の血塗れで立ち尽くす私を、駆け付けた教師が、洗面所ヘと引っ張っていく。
--私には。睦美紅子には。
理解らない。
染川翠の「謝罪」が、「どこからやってきた」のか。
染川翠の葬式で、「のっぺりと泣き、笑う人々」が。
理解らない。
私は。睦美紅子は。
あの「幼稚な悪意」を振りかざした“染川さん”を。
果たして「赦したかった」のだろうか。それとも。
--私には。睦美紅子には。
理解らない。
もう、「永久」に、理解らない。
(ねぇ?どうして、断っちゃったの?)
私の「頭の中」で。
心配そうに、“染川翠”が、訊ねてくる。
彼女が亡くなって、ちょうど一年ほどの、放課後。
クラスメイトの「優しい彼」の告白を断った、私に。
(未だ、アナタに「呪われてて」)
(未だ、アナタを「呪っている」)
(……こんなにも「醜い私」に)
(彼のような「優しい人」は)
(とてもじゃないが「勿体無い」んだよ)
(理解ったかい?私を呪う「優しい“染川翠”」よ)
私の「頭の中」で。
まったく、“染川翠”には「伝わらない」。
私の「幼稚な嘲笑」は、きっと「伝わらない」。
この「優しい世界」で。
私は「独りきり」だから。
思いがけない「イベント」に、見舞われた日。
帰宅の電車の中で、難しい表情をしてスマートフォンを弄る、男子生徒がいた。
--見慣れない顔。恐らく、新入生。
最初は、ゲームでもしているのかと、思ったが。
彼は何やら、ホームページを、更新しているらしい。
ほんの、何の気無しにだった。
つい、盗み見てしまった、そのサイトの名前を。
《ベイカーストリート怪奇四十番地》
自分のスマホで、検索してみる。
何だかとても「間抜け」な、そのサイト名に惹かれた、ふとした悪戯心から。
--どうやら、書評サイトであるらしい。
(……暇潰しぐらいには、なるかねぇ?)
管理人の“ワトソン小林”氏の「本名」を。
私は、まだ、知らない。