社畜な鯱狗の妄想雑記

より良く、生きましょう!

『HELLSING』は“ファシズム”/『ヨルムンガンド』は“ナチズム”

✳︎

《呪詛と断想の“ファシズム”》



今回は、少し趣向を変えまして(笑)。

ダラダラと、漫画のお話でもw



HELLSING』のラスボスである“少佐”は、
「手段のためなら、目的を選ばない」という、
まさに「コペルニクス的転回」を嘯く通り、
「ナチに紛れたファシスト」でしたね!(笑)
だから、ちゃんと上層部をキレイに粛清して、
“最後の大隊”を私兵化したでしょう?( ̄▽ ̄)

HELLSING』で描かれる“吸血鬼”とは、
つまり“スターリニスト”の象徴ですよ!(爆)

その中でも、アーカードだけは、
スターリニズムに絶望したスターリニスト」
であって。だからこそ、アンデルセン神父が、
“ナチ”から“スターリニスト”へと、
「転向」したことに、嘆き哀しんだワケです。
(“イスカリオテ機関”が“ナチ”という「寓意」よw)

“婦警”ことセラスは、
「無自覚にオルグされたスターリニスト」。

“傭兵”のベルナドット隊長は、
「スターリニストを愛してしまったアナキスト」。

ペンウッド卿は、
「スターリニストから転向したファシスト」。

マクスウェル“大司教”は、
「ナチから転向したファシスト」。
(「神」ではなく「神の力」に仕えるようになって、初めて、“少佐”に「やればできるじゃないか」と「評価」されたことに注目!)

“少佐”は、
「徹頭徹尾、生粋のファシスト」。

そしてインテグラは、
「徹頭徹尾、生粋のスターリニスト」。

だから“少佐”は、最後にインテグラを招き入れ、
「決闘」を挑み、「歴史通りに敗れてみせた」。



…ほとんど「妄想」の域の「解釈(失笑)」ですがw

ただ、作者の平野耕太センセーもまた、
Marilyn Mansonのファンでありまして(爆)。

まったく、完全に「的外れ」か、はてさて(苦笑)。



そして「ファシズム賛歌」が『HELLSING』なら。

片や「ナチズム賛歌」が『ヨルムンガンド』かとw



何故なら、ココ・ヘクマティアルは。

驚くほどに「確信犯(正調)」であるから。

《“ファシズム”の「参照先」は、果たしてニーチェなのか》



最終盤で、読者は「驚かされる」ワケです。

ヨルムンガンド”という「理想郷」に対する、
ヨナの「反発」を、「予期していなかった」。

ココの、その「あまりの無自覚性」に。



「フフーフ♪」と「世界を冷笑するフリ」をして。

しかし、その「内実」においては。

ココは、まったく「繊細な少女」でしかなかった。



ヨルムンガンド』に登場する“ファシスト”は、
ココの兄、キャスパー・ヘクマティアルであり。

彼は「脇役」でしかないのだ。

そして物語は、
「純朴なスターリニスト」であったヨナが、
「繊細なナチ」のココに「オルグ」されて。

ヨルムンガンド”を「描くことなく終わる」。

《だから“ナチズム”は「失敗」であった》



“ナチズム”を「本質的」に描いているのは。

HELLSING』よりも、遥かに、
ヨルムンガンド』であるでしょう。

恐らく、平野耕太センセーに、
ヨルムンガンド』は「描けない」し、
そもそも「描こうと思わない」。

それぐらい、この二つの「物語」は「違う」。



…如何でしたでしょうか?



鯱狗は、自称「ファシスト見習い」の、
ルンペンプロレタリアート”であるワケですが。

ソレはソレとして、ココはマジ萌える!(爆)
あーゆー女の子って、ステキじゃん!www

「余裕綽々のフリ」をして、
「余裕なんて無い」ってさw

まるで、ニーチェみたいに「繊細で脆い」。

ファシスト”はニーチェを「知っている」。
だがしかし、ニーチェには「なれない」し、
「なろうとは思わない」のが“ファシスト”。

《『ぼくを探しに』は「ファシズム入門書」に最適!》



ではでは(苦笑)。