社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

【青春タンクデサント】a7「噂の“測量オジサン”、或いはカタストロフ」

✳︎

    見た目は、ホームレス。
    台車を押していて、その上には、良く判らない機械が、ぎっしりと積まれている。
    ブツブツと独り言を呟きながら、彼は「何か」を。
    ひたすら「測量」し続けている--。

「……新手の都市伝説か、何かですか?」
    いよいよ冷え込み始めた、十一月の夕刻。
「まぁ、そんなトコロだろうな」
    睦美紅子が語った話は、その「荒唐無稽さのベクトル」が、いつもとは少々、趣が異なっていた。
「クラスの女子の、弟が目撃したそうだがね」
    自分は寒がりだと零す先輩は、早くも焦茶色のダッフルコートで、防備を固めている。
「その、“測量オジサン”とやらを」
「身も蓋も無い、ネーミングですね」
    こうして市営図書館に立ち寄った帰り途は、街路灯も、人影も、疎らだ。
「まぁ、もしその、“測量オジサン”が、実在するのなら」
    --姫宮絵里を思い出すことも、少なくなった。
「典型的な統合失調症でしょうから、ソレは警察とか福祉の範疇の話であって」
    あの「図書館の姫君」のようだった、野暮ったい眼鏡を掛けた、級友の少女のことを。
「僕らには、まぁ、無関係の話ですよ」
    すると先輩は、ふと、足を止めた。
「フフッ、どうだろうな?」
    吊り目がちの眼差しで、僕を振り返る。
「例えば『噂をすれば影が差す』という、コトバもある」
    頭上の蛍光灯が、ジジジと、鳴く。
「つまりは『言霊信仰』という観点から捉えれば、貴様と私が、このように『話題にする』という行為自体が、一種の『召喚の儀式』として機能するという可能性も--」



「みつけた」



    先輩の、無邪気な衒学の披露を、遮って。
    行き先の、四つ辻の陰から。
「みつけたみつけたみつけたみつけた!」
    “ソイツ”は、噂通りの、浮浪者の姿で。
    僕ら“タンクデサント部”の前に、立ち塞がっていた。
「やっぱりおれのリロンにくるいはないからおれのリロンにしたがっておれはみつけたみつけた!」
    先輩も、僕も、固まって動けない。
(こんな不条理な話って、あるか!?)
    間抜けにも半開きの僕の唇は、しかし、動かない。
「おれのリロンおれのリロンおれのリロンどおり!」
    男の腰に提げられた携帯ラジオが、耳障りなノイズを垂れ流す。街路灯が、不意に、明滅を始める。

「みつけたぞ!むつみべにこォォォォォ!!!」

    鼓動が、跳ね上がった。
「んな!?」
    確かに、この“測量オジサン”は、今。
「先輩!ヤバいです!逃げましょう!!」
    --ハッキリと、先輩の“名前”を。
「“しゅくふく”だ“しゅくふく”だ“しゅくふく”!」
    次の瞬間、ボサボサの髪も髭も伸びるに任せた風体からは、想像も付かぬ俊敏さで。
「ぅ、うわぁ!?」
「“しゅくふく”はじゅうにがつにじゅうはちにち!」
    得体の知れぬ観測機器を満載した台車を、放り出して。
「ヒッ!?」
「じゅうにがつにじゅうはちにち!じゅうにがつにじゅうはちにち!」
    小さく悲鳴を上げて、身を強張らせた先輩に向かって。掴みかからん勢いで、駆け寄ろうとする。
「なっ、なんなんだアンタ!?やめ、ろッ!!」
    思わず割って入った僕と、揉みくちゃになる。生ゴミと酒の匂いが、強烈に鼻を突く。
「いいかよくきけむつみべにこ!じゅうにがつにじゅうはちにちだ!」
    “測量オジサン”の、陥ち窪んで、爛々とした眼中に、僕は入っていない。腰を抜かして、路上に尻餅を着いた先輩を、見下ろして。
    そして、獣の、咆哮が。

「じゅうにがつにじゅうはちにち!」

「むつみべにこは!」



「“しゅくふく”により、しぬ!!!」



    街路灯の明滅が、止んだ。
「おれのリロンおれのリロンがセカイではじめてよそくにせいこうする!よろこべよろこべよろこべよろこ--」
    僕の、理性と呼ばれるモノが。
「テメェ!デタラメ抜かしてんじゃねぇ!!!」
    プツリと、切れた。
「イイ加減にしろよ!キチガイが!!!」
    力任せに突き飛ばした“測量オジサン”が、あっさりと、アスファルトに転がされる。
    その手から、ぐしゃぐしゃになった大学ノートの切れ端が散らばる。真っ赤なボールペンで殴り書きされた、意味不明な数式の羅列に、囲まれて。
    デカデカと。

『睦美紅子死一二二八日一八一三時祝福死確定!!!』

    呪詛と悪意の塊のような紙切れを、震える手で、綺麗な長い黒髪の少女が、拾い上げる。
「先輩!捨てて下さい!デタラメです!!!」
「でたらめじゃない!リロンだ!!!」
    “測量オジサン”は、恍惚とした笑みで。
「黙れよ!黙れっつってんだよ!!!」
「あとさんじゅうびょうだ!!!」
    先輩から紙片を引ったくり、睨み付けた先で、男は。
「しょうめいする!あとあとあとにじゅうびょう!」
    まるで印籠を翳すかのように、デジタルの卓上時計を、高々と掲げていた。
「なんなんだよテメェは!?」
「じゅう!きゅう!はち!--」
「テメェはいったいなんなんだ!!?」
「よん!さん!にぃ!」
    僕の、叫びを、無視して。

「いち!ぜ--」



    バスッ。



    “測量オジサン”の、頭が。
    “測量オジサン”の頭が、ただ、爆ぜた。
    --即死。
    スナイパーの銃弾に、脳幹を破壊されて。
「……は……ぁ……?」
    ボロ雑巾のように投げ出された、その手から。
「……ふ……ッ……!」
    もう一枚のノートが、零れ落ちる。

『真境名神死一一一七日一九五九時祝福死確定!!!』

    ドクドクと路面に広がる血の海に、狂気の字面が侵されていく。そして、嘲笑うかのように。
    “測量オジサン”のデジタル時計が、二十時に設定されたアラームを、無機質に鳴らした。
「ふざけんな!!!」
    思い切り。僕は、蹴り飛ばす。
「ふざけてんじゃねぇよ!!!」
    百円ショップの商品と思しき、チャチな時計は、路肩に叩き付けられて、その電子音を止めた。
「ふざけんなよ!ふざけんな!ふざけんな!!!」
    ただ、僕の絶叫だけが。闇に、木霊する。
    その、背後から。
    びちゃびちゃと、音がした。
「ッ、先輩!!!」
    アスファルトに四つん這いになって。
    睦美紅子が、嘔吐していた。
「先輩!先輩!先輩!?」
    慌てて駆け寄って。
    背中をさすることしか、できない。
「ぅあ、ぁ、ぁ、あ……ゲボッ……!」
    乱れた呼吸で、唇の端から、胃液を伝い落として。
    絞り出すように。
    先輩は、言った。

「……私……死ぬんだ……?」

    目の前が、真っ白になる。
「違う!!!」
    訳も判らず、ただ、闇雲に。
「違う違う違う違う違う!!!」
    叫ぶ。
「嘘だ!嘘、嘘、嘘に決まってる!!!」
    焦点の合わない、虚ろな眼差しの、先輩に。
「水!そうだ!僕、水、持ってますから!」
    路上に放り出された鞄から取り出したペットボトルを、飲ませようとした。

「--違わないよ!!!」

    僕の手を。彼女が、振り払った。
「違わないよ!だって、キミも、見たでしょ!?」
    転がり落ちたボトルからは、チョロチョロと、飲料水が零れ落ちていく。
「アイツは『証明』した!!!」
    先輩の、吐瀉物の臭い。
「自分が死ぬ瞬間を、予言してみせた!!!」
    “測量オジサン”だったモノの、血の臭い。
「私は!私は!ぁ、ッ、私は!!!」
    街路灯の、薄暗がりの下で。

「私は、死ぬんだ」

    先輩と、僕は。
「……違う……嘘だ……ッ」
    “タンクデサント部”の、二人は。
「嘘だァァァァァァァァァァ!!!」
    初冬の晩。市営図書館の裏手の、人気の無い路地に。
    ただ、無力に。へたり込んでいた。

    --それから、どうやって、家に帰ったか。
    先輩をタクシーに乗せてからの、記憶は曖昧だ。

    翌日の朝刊の、地方面の、片隅には。「元・大学教授の真境名神(まきな・じん)氏」が、“祝福”の対象となった遺体で発見された旨が、載っていたらしい。
    その日、僕は。体調不良で、学校を休んだ。
    その次の日に、登校したところ。
    睦美紅子は「まだ休んでいる」ということだった。
    メールも、電話も、繋がらない。
    金曜日を迎えて。
    睦美紅子は「まだ休んでいた」。

    そして、土曜日の夕方。

「明日、会って、話がしたい」と。

    メールの返信が、あった。