社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

【最重要論考】“ファシズム”並び“スターリニズム”の「定義と概論」/「虚数i」という「世紀の発明」

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以下は、鯱狗が「理解」する、
ファシズム”並び“スターリニズム”を、
できるだけ「平易」に説明せんと試みる、
いわば【最重要論考】である。

スターリニズム”とは、
「《理想》への習合」を目的とした、
一連の政治運動である。

スターリニズム”は、大きく分けて、
“母性的スターリニズム”と、
“父性的スターリニズム”の、
二つの「潮流」が、現在、存在する。

前者は“リベラリズム”と呼ばれ、
後者は“(いわゆる)ファシズム”と呼ばれる。

無論、我々“ファシスト”は、
“父性的スターリニズム”を、
“(いわゆる)ファシズム”呼ばわりされるのが、
極めて「不愉快」である(笑)。

“父性的スターリニズム”を、
適切に「別称」するならば、
“ナチズム”と呼ぶのが正しい。

リベラリスト”と、“(いわゆる)ファシスト”の、
ありふれた「政治闘争」は、
我々“ファシスト”に言わせれば、
“スターリニスト”の「内ゲバ」でしかない(失笑)。

《理想》とは、
「多数派の最大公約数」である。

従って、“民主主義”とは、
自明的に「多数派」であるところの、
“スターリニスト”の「陰謀」である。

故に、“ファシスト”は、
“民主主義”に「反対」である。

《メイク・ゲルマン・グレート・アゲイン》という、
《理想》を掲げて、“民主主義”により、
政権を奪取した“ナチ党”が、その「本質的」に、
“スターリニスト”であったことは、自明である。

《メイク・アメリカ・グレート・アゲイン》という、
《理想》を掲げて、“民主主義”により、
政権を奪取したトランプが、“ファシスト”ではなく、
“ナチ”であったことも、すなわち、自明である。

ファシスト”ではなく、ことごとく“ナチ”である。

“民主主義”に「反対」である“ファシズム”は、
そもそも「大衆の支持」を「必要としない」。
ファシスト”は、コソコソせず、
堂々と「愚民思想」を主張する!

ファシスト”が、もし、万が一にも(苦笑)、
政権を奪取するのであれば、その「方法」は、
“ローマ進軍”のように“アンチ民主主義”的な、
「クーデター」でなければ、ならない。

……なお、“ローマ進軍”が「成功」したのは、
これはもう、まったくの「偶然」である(爆)。
“スターリニスト”が信奉する「科学的必然」では、
罷り間違っても、ない!(笑)

大抵は“ミュンヘン一揆”のように「失敗」する。
その際にも、我々“ファシスト”は、
“ナチズム”の「誘惑」に屈さぬ、心構えを要する。

以上の通り、“ファシズム”とは、
「“スターリニズム”への抵抗」を目的とした、
一連の政治運動である。

リベラリズム”も、“ナチズム”も、
スターリニズム”の「一環」である以上、
ファシスト”は、両者に「反対」である。

そして「多数派の最大公約数」である、
《理想》にも「反対」であることから、
ファシスト”は、自明的に「少数派」である。

ファシズム”は、
《理想》を「掲げない」という点で、
「唯一」の、稀有な政治運動である。
(“アナキズム”は「政治運動ではない」として)

「多数派」の“スターリニスト”は、
「政治的目的のために団結する」。

「少数派」の“ファシスト”は、
「団結することが政治的手段である」。

何故なら、《理想》に「反対」である、
「少数派」の“反スターリニスト”は、
そのままでは「細分化」されており、
「多数派」の“スターリニスト”により、
「各個撃破」を免れ得ないからである。

ファシズム”とは、いわば「虚数i」である。

虚数i」すなわち「イマジナリーナンバー」は、
「マイナスになる平方根」というアイデアから、
「発明」された「便宜的な仮定」が出発だった。

ファシズム”も「同様」である。

《理想》を「掲げない」ことから、
そのままでは、自明的に「団結できない」、
「少数派」の“反スターリニスト”が、
「団結するための便宜的な仮定」こそが、
ファシズム”という「発明」なのである!

……控えめに言っても、
我らが“ドゥーチェ”ことムッソリーニは、
世紀の「天才」である(爆)。

もし、万が一にも、鯱狗が“ファシズム結社”を、
立ち上げるなら、シンボルは《i》としたい(笑)。

従って、“ファシスト”が、
最も注意深く「忌避」せねばならないのが、
ファシスト”の「内ゲバ」である。

「多数派」の“スターリニスト”と違って、
「少数派」の“ファシスト”は「脆弱」であり、
内ゲバ」に明け暮れるような「余裕」は無い。

そこで“ファシスト”に求められるのは、
徹底した互いの「無関心と不干渉」である。
決して「尊重」で「あってはならない」。

何故なら、「尊重」は最終的に、
「互いを尊重できない者は“敵”だ!」という、
ありふれた“母性的スターリニズム”の、
「ヒステリー」に行き着くからである。

「少数派」の“ファシスト”は、
「団結することが政治的手段である」。

「“スターリニズム”への抵抗」という、
「政治的目的」を、ゆめゆめ、忘れてはならない。

以上の通り、
《理想》を「掲げない」ことから、
ファシズム”には、もし、万が一にも、
「政権を奪取した場合」における、
目指す「政治」は、自明的に「無い」!(笑)

だから、我らが“ドゥーチェ”の率いた、
ファシスト党”も、政権の奪取後は、
ぶっちゃけ、グダグダであった(苦笑)。

そして、それは“ファシスト”として「正しい」!

《理想》を「掲げた」ヒトラーの“ナチ党”が、
政権の奪取後に、“ファシスト党”より遥かに、
シッカリしていたのは、それは取りも直さず、
その「誤り」の「証左」であると言って良い。

それはすなわち、“ナチ党”が「本質的」に、
“スターリニスト”であったことの「証左」だ。

ファシスト”の「最終目標」は、
“スターリニスト”から「政権を奪取する」。
「そこまで」なのである!

以上の、鯱狗の“ファシズム”への「理解」が、
決して「荒唐無稽ではない」ことは、以下の、
代表的“ファシスト”の言葉を、参照のこと(笑)。

ファシズム”の偉大な「発明者」
ファシスト党”の“ドゥーチェ”

「我々は、時と場所と状況に応じて、貴族主義と民主主義、保守主義進歩主義、反動主義と革新主義、合法主義と非合法主義を、思いのまま使い分けようではないか」

我々は政策綱領も、約束された土地も信じない。我々は個人に戻ろう。我々は個人を高め、強め、より多い自由、より幅広い生活を与える、あらゆるものを支持しよう。我々はまた、個人を抑圧し、低める、あらゆるものと戦うだろう

「《万人の》が、民主主義の主要な形容詞であった。その形容詞は、十九世紀を埋め尽くした。今や、言うべき時である。《選ばれた、少数の》と」

「すべての色彩を消し去り、すべての個性を平板化する、《匿名にして灰色の民主的平等主義》は、今、息絶えんとしている」

日本を代表する“ファシスト
“我々団”の“総統”
外山恒一、曰く

私には建設的な提案なんか、一つも無い!今はただ《スクラップ&スクラップ》、すべてをブチ壊すことだ!

諸君!私は諸君を軽蔑している。この下らない国を、そのシステムを、支えてきたのは諸君に他ならないからだ。正確に言えば、諸君の中の多数派は、私の敵だ!」

「私は、諸君の中の少数派に呼び掛けている。少数派の諸君!今こそ団結し、立ち上がらなければならない。奴ら多数派はやりたい放題だ。我々少数派が、いよいよもって、生き難い世の中が、作られようとしている!」

少数派の諸君!選挙で何かが変わると思ったら大間違いだ!所詮、選挙なんか多数派のお祭りに過ぎない。我々少数派にとって、選挙ほど馬鹿馬鹿しいものは無い。多数決で決めれば、多数派が勝つに決まってるじゃないか!

私は、この国の、少数派に対する迫害に、もう我慢ならない!少数派の諸君!多数派を説得することなどできない!奴ら多数派は、我々少数派の声に、耳を傾けることは無い!奴ら多数派が支配する、こんな下らない国は、もはや滅ぼす以外に無い!」

「改革なんか、いくらやったって無駄だ!今、進められている様々な改革は、どうせすべて、奴ら多数派のための改革じゃないか。我々少数派は、そんなものに期待しないし、もちろん協力もしない!我々少数派は、もうこんな国には、何も望まない!」

我々少数派に残された選択肢は、ただ一つ。こんな国は、もう滅ぼすことだ。ぶっちゃけて言えば、もはや政府転覆しかない!

最後に、一応言っておく。私が当選したら、奴らはビビる!私もビビる!



外山恒一総統の、“ファシズム”論文集(必読!!!)



以上が、“ファシスト見習い”を自称する、
鯱狗の“ファシズム”への「理解」である。



……さぁ。



「少数派」の、“反スターリニスト”の、諸君!

今こそ、鯱狗と共に!

ファシズム”に、目覚めようではないか!

《匿名にして灰色の民主的平等主義》に。

“我々”は、断固として、叛旗を翻すのである!



くたばれ、“スターリニズム”!!!

クソ食らえ、“民主主義”!!!



以上!!!!!