社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

【ネタバレ】『サイン』に見る、シャマラン作品の「本質」は…

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(ストック記事放出)

よーするに(笑)。



「世界」に「危機」が訪れる。

「日常」が「崩壊」を迎える。



「意味深な設定(ルール)」が、存在する。

でも、その「設定」はどーでもイイ!(爆)



「大事」なのは、主人公の「個人的な問題」。



「世界の危機」を通じて「如何にして」。

「個人的な問題」に「折合を付ける」か。



…もう、お判りですよね?w



シャマラン作品の「本質」は。



セカイ系」の、ド真ん中なんですよ!www



ソレを、冴えない中年のオッサン(苦笑)で、
やっちゃうのが、シャマランの「真骨頂」!

処女作の『シックス・センス』からしてもう、
「俺は死んでいた!」という、ある意味では、
究極の「セカイの終末」より「大事」なのは。



「もう一度、妻と会話するコト」でしたよね?



そんなシャマラン監督の「作家性(笑)」が、
思わず「大爆発してしまった(苦笑)」のが。



あの『サイン』であるワケです!www



「サスペンス映画を期待した一般の客」を、
呆然とさせ、失望と批判の声を上げさせて。

その一方で。

極一部の「熱烈なシャマラニスト(笑)」を、
生み出したのが、この作品であったコトは。



「必然」だったワケです!w



よーするに『サイン』って映画は。



【アメリカの冴えない中年のオッサン版】




として、生温かく鑑賞する(笑)のが、
「正しい姿勢」だったんですよ!(爆)

だから「設定の深読み」や何やらに、
「意味なんか無い」ワケです!(苦笑)



…ソレをね、悪質な映画会社(迫真)が、
あたかも「サスペンス映画」のように、
宣伝したのが「悲劇の始まり」で(ー ー;)



『サイン』(2002年)



この作品を「比較すべき対象」は。




ドニー・ダーコ』(2001年)



つまり「そーゆー映画」ですんで!(爆)




コチラの記事で書いた通り、
「奇跡の大傑作」と信じて、
疑わない鯱狗ですが(真顔)。

その「本質的な作家性(笑)」を、
「理解しそうな人(苦笑)」にしか、
シャマラン作品はオススメできないw



ではでは!