《ジン横丁》にて
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……ああ、また、アンタか。
版画家のアンちゃん、よぉ。
まぁ、またいつもみたいに、
好きにスケッチしていきな。
しかして、今日は、何やら、
表通りが騒がしいが、はて。
……ああ、そうかい。
当代きっての、“詩人”殿が、
《ビール通り》で、朗読会を開くと。
ソイツは、何よりだ。
今日も、世の中は、平和ってこった。
まったく、結構。
……俺に、言わせりゃ。
あんなモン、“詩”じゃあねぇケドな。
おっと、食い付くってかい?
ロクな話にゃ、ならねぇよ。
なぁ、版画家のアンちゃん。
それでも、聞きたいってか?
……しゃあねぇな。
まぁ、ルンペンの世迷言だ。
せいぜい、聞き流しとけよ。
俺に、言わせるなら。
アレは“詩”じゃあなくって、
いわば“演説”なのサ。
“書き手”も、“読み手”も、
己の“正しさ”を、微塵とて疑っちゃいない。
その“正しさ”を、互いに確かめ合うための、
“演説”であって、“集会”なのサ。
まぁ、もしも仮に、俺が、
あの“集会”に、顔を出したとして。
「こんなモン、“詩”じゃねぇよ!」
なんて、叫んだところで。
確かに、囲んで殴られるコトは、
きっと、無いんだろうよ。
その代わりに、優しく“説得”されるのサ。
「この“詩”の良さが、理解らないなんて!」
「あなたは、ヒトとして、間違っている!」
「人倫理性を、もっと信頼しましょうよ!」
ってなモンか?……その屈辱に比べりゃ、
囲んで殴られる方が、よっぽど、
俺には、性に合っているケドな。
……俺に、言わせりゃ。
“詩”ってのは「書く」モンじゃねぇ。
もう二度と、酒なんか呑みはしないと、
誓ったハズも束の間。己の意志薄弱に、
憎しみさえ、湧くにも拘らず。
震える手で、次のジンの封を、
結局は、また開けちまう……みたいに。
「書かされる」モンさ。
“詩”を、書き始めたからには。
書き上げるまでは、未だ死なれぬと、
憑かれたように、一心不乱に。
書き上げたら、もう死んでも良いと、
精魂尽き果て、昏倒しちまう。
何一つも、美しいモノなんかじゃ、ねぇよ。
誰からも、きっと理解なんか、されねぇよ。
しかしまぁ、当世じゃ流行りの、
“詩人”ってのは、文句無しに“正しい”し、
薄っぺらな、キレイなコトバを、
羅列してりゃあ、拍手喝采なんだろうサ。
……俺もまぁ、昔は。
ちょっとした“詩集”だなんて、
出したりしたケドよ。
つまり、誰も“読み手”なんか、
付かなかったワケさ。
なぁ、版画家のアンちゃん。
……アンタの、名前は?
“ホガース”か。イイ名前だ。
なぁ、ホガースさん。
ちゃんと、スケッチしていってくれよ。
一切の、余計な“美化”なんか、排して。
この街の、吹き溜まりを、掃き溜めを。
この街の、海底の、底の、底を。
散乱する、空き瓶を。
ゴキブリを、ドブネズミを。
腐臭を。
アンタが、そうやって、ちゃんと、
「“啓蒙”の版画」を、刷ってくれるなら。
俺は、喜んで。アンタの笑い者に、
なりたいと。心底から、願っているから。
アンタの前途を、祈っているよ。
……じゃあな、版画家のアンちゃん。