社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

【茜橋で待ってます】完結キター!!!(≧∀≦)

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✳︎
最近、発見したコチラのブログ様!!!
 
めちゃくちゃ「澄んだコトバ」を書かれていらして、
更新が楽しみで楽しみで、仕方無かったのですが!
 
特に、今回の『茜橋で待ってます』は、
もう、ド真ん中のド真ん中を行く、
 
「青春小説」で、ございまして。
 
もう後編が、ホントにホントに楽しみで!(//∇//)
 
…正直、「暗号」については、
前編で察しが付いていただけに、
「ああああ、この流れは、この流れは!」
と、鯱狗は、後編の途中で、
一人で悶えていたのですが(苦笑)。
 
 
 
「そんなに遠くないよ」
 
 
 
って。スゲェ。スゲェとしか言えない。
 
こんな「澄んだコトバ」。
 
なかなか見ることは、叶わない。
 
 
 
「そんなに遠くないよ」
 
 
 
ヤバいね。
 
ぶっちゃけ涙脆い鯱狗には、ヤバかった(小声)。
 
作者の高岡ヨシ様、
素晴らしい作品を、
ありがとうございましたm(_ _)m
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ああああ、こんなコトなら!
 
こんなに早く、後編を読めると、知っていたなら!
 
小説形態としては、約8年ぶり、
一人称モノとしては、約12年ぶりに、
変なモノ、書かなきゃ良かったorz
 
 
 
ではでは(白目)。

倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』を《第五の奇書》に推す


もちろん、アフィリエイトではない。
ただ、一人でも多く、読みたまへ(笑)。

注:
「犯人」を含めて、以下のレビューは、
「瑣末事のネタバレ」については、厭わない。

実際、この作品に「フーダニット」などといった、
いわゆる“ミステリ”的な「価値」は殆ど「皆無」。



中井英夫『虚無への供物』(1964年)
--以上が、世に言う《三大奇書》。

竹本健治『匣の中の失落』(1978年)
--此れが《第四の奇書》と、目される。

そして、私は、其処に。

倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』(2014年)
--此れを《第五の奇書》に、加えたい。



始めに、断っておく。
『波上館の犯罪』は、いわゆる“バカミス”ではない。
此れは、作者自身が断りを明言しているのだが、
改めて、強調しておきたい。
作者にとって、本作は、そのライフワークとする、
交響曲シリーズ”の“第6番”であること。

交響曲シリーズ”とは--。
(波丘駿一郎に叱られそうだが)
あえてジャンルで括るのならば、作者の、
「芸術館/死生観」を前面に打ち出した、
幻想文学”のシリーズと、言えよう。

そして作者は、一方で、紛うこと無き、
エンタメとしての“バカミス”に精通しており、
「ある技術」を、その中で磨いてきた。

その「ある技術」を用いて、しかも、
“ミステリ”の「形式」で書き上げたから、
一部では「誤解」があるらしい故に、注記。



犯行の「手口」は「杜撰」を極めている。
しかも、その「杜撰」は“バカミス”として、
「笑いを取るため」ですらない。

強いて言えば、その「杜撰」は、いわば、
“一個人”ではなく“波丘駿一郎の娘”という、
犯人の「幼稚」の発露と見るべきだろう。

“娘”--すなわち“子供”であるが故に、
その「責任逃れ」は「杜撰で幼稚」だ。

ただし「行き当たりばったり」ではない。

特に“第二の殺人”--間島殺しは、
赤羽根警部には、絶対に「推理できない」。
自明な「“波上館”の必然」に則り、
成功させることができたわけなのだ。

《奇書》の「核心」である、
“アンチミステリ”を、充分に満たしている。



「“リーダビリティ”が悪い」という批判がある。

--随分と、勇気のある批判者だ。

「自分は“波丘駿一郎の亡霊”に、殺されはしない」
という「無邪気な自信」が無ければ、
『波上館の犯罪』を“リーダビリティ”の観点から、
批判することなど、とても出来やしないだろう。

というか、其れこそ《三大奇書》を、
“リーダビリティ”の観点から批判しても、
其れは「無意味」ではないか!(笑)

--此の作品も「同じ」だ。

ひょっとして“ノベルス形式”だから、
侮られているのかもしれないが、
其れこそ「ある技術」のための要請であり、
つまりは、最終的に行き着く「美」のための、
ただ、その一点に奉仕するための“文章”であり。

「必然的な“リーダビリティ”の悪さ」も、
また《奇書》の「核心」であることを、
思い出されたし。……其れでも、少なくとも、
軽く一万倍ぐらいは、読み易いからね!?(爆)



此の作品は、
『波上館殺人事件』ではない。

此の作品は、
『波上館の犯罪』である。

だから「告発」されるのは、
「殺人」ではなく「犯罪」だ。

「殺人」も「手口」も「犯人」すらも、
結局のところは「瑣末事」でしかない。



--何故《奇書》は、“ミステリ”なのか。

其れは「通俗のジャンル」であるからだ。

「通俗のジャンル」に、突如として、
恐るべき“神憑り”を起こした“文学の者”が、
ナイフを手に、狂乱の風態で、殴り込むからだ。

つまり「被害者」は、“ミステリ”だ。

だから人は、其れらの《奇書》をして、
“アンチミステリ”と、呼ぶわけである!(笑)



そして私は、以前より、
中井英夫『虚無への供物』に対する、
「傾倒」を、表明してきた。

--なればこそ、言わねばなるまい。

倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』は、
紛うこと無き“アンチミステリ”であり。

そして。

“アンチ『虚無への供物』”の性格を、備える。

『虚無への供物』が、
タナトスが見下ろした、海底のエロース」なら。

『波上館の犯罪』は、
「エロースが見上げた、波上のタナトス」である。

--奇しくも、中井英夫は、こう述べた。



小説は天帝に捧げる供物、
一行でも腐っていてはならない。



嗚呼、何ということか!

まさに『波上館の犯罪』を、
「絶賛している」ではないか!!!



莫迦げている?不毛な徒労??

さういうことは、まずは、
一文たりとも斜め読みすること無く、
完ペキに読破してから、申し上げなさい。
……もちろん、私には無理だ!(爆)



《奇書》の「核心」は、
“神憑り”を起こした、作者の「意志」だ。

倉阪鬼一郎、並びに、波丘駿一郎に、
敬意を評して、其れを“脳波”と呼んでも、
私は、一向に差し支えない(笑)。



以上の拙文を以って、
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』を、
《第五の奇書》に、私は推したい。

御拝読のほど、誠にありがとうございました。

✳︎

さようなら!
さようなら!
さようなら!



私は光。
貴女に絵本を与えた、盲の執事。
私は影。
青年の白杖を預かる、聾の侍女。

私は波紋。
常闇に手慰む、古ぼけたピアノ。
私は粒子。
少女の静謐な、水彩のスケッチ。

私は希求。
無銘の丘に建つ、素朴な御屋敷。
私は失望。
悠久の夏を想う、キネマの庭園。

私は愛。
植栽へと、惜しみなく注ぐ太陽。
私は恋。
青空の下、ぐったりした向日葵。

私は精神。
丘から見下ろした、鉄橋の汽車。
私は実体。
軋んでは慄かせる、陽炎の貨車。

私は過日。
橋脚の湖底に遊泳する、黒い魚。
私は行方。
洋館の遥かへ翔び発つ、白い鳥。



私は生。ではないのです。

私は死。でもないのです。



私は貴女。
か弱くとも気高い、深窓の詩人。



さようなら!
さようなら!
さようなら!



侍女は、執事に。
執事は、貴女に。

御暇を賜りたく、このように。
参りましたので、ございます。



さようなら!
さようなら!
さようなら!



貴女は、か弱い。
されど、気高い。

どうか、泣かないで。
どうぞ、笑っていて。



さようなら!
さようなら!
さようなら!



さようなら!
さようなら!
さようなら!

愛を讃える歌

✳︎

つまるところ。

恋とは、相互不理解への不安、であり。
愛とは、相互理解への安心、ですから。

思えば。ずっと、ずうっと。

陳腐ながら、有り体に。
私という男子は恋多き、
恋に恋する乙女であり。

人間に。

恋焦がれていたやうな、
そんな気が、致します。

現状は、ただ、ボンヤリと、
私という男子を、包み込む、
愛が。
皮膚から、ユルユルと、
浸透してくるのを、感じながら。

最期に。
そんな由無し事を、思うのです。

愛が。
ただ、愛だけが。

人間を救ひます。

「どうか、救ひたまへ。
    私の思う人を、救ひたまへ。
    まりや様、まりや様の観音様。
    どうか。」

その小蜘蛛の、哀願を。

恋ゆえに。握り潰した官僚が、
私という男子であったのです。

恋は。血の池の、地獄に墜ちたまへ。

愛を讃える歌を、口遊みたいと、
心の底から、願うほどに。

不思議と、まるで。

歌は、遺書のやうに、
なってしまいました。

不安が無い、と言えば、
嘘に堕します。

愛は。今や、子宮のやうに。
私という男子を包み込んで。
皮膚から、ユルユルと、
浸透を致します。

つまりは。吉報が、
届きました。

『テムポ正しく、握手をしませう。』

肌身離さず、持ち歩いていた。
中原中也の詩集を、
書棚のどちらに、仕舞おうか。
算段しております。
--売っ払ってしまうのは、切ないから。

(ハイフンを、多用するのは、いかにも、
    中也らしい、幼稚な気障ったらしさで、
    いつも、ついつい、笑ってしまいます。)

控え目に言って、
私は天才でした。

私という男子の、
脱け殻を遺して。

レスラーのやうに女々しくも、
一人前の、らしき男となって。

この惑星の、いとも茫漠たる、
大黒柱を支えたき、所存です。

イッパイ、イッパイ。精一杯の。
些か、未完成ながらも。

テムポ正しい。





愛に恋する歌。

阿呆酔夢の即興、或いは鎮魂歌

✳︎

--なぁ、アンタは。

小腹が空いたから、食うタイプか。
ムラリとしたから、犯すタイプか。
アクビが出たから、眠るタイプか。

惚れたから、愛すタイプか。
憎んだから、殺すタイプか。

死ぬまで批評家で、死ぬまで冷笑家で。
健康で、文化的な人生だな、まったく!

芸術は爆発で、作品なんて、
クレーターに、過ぎねぇよ。

とにかく、殺しちまってから、
どうやら、憎かったらしいと、
ぼんやり、気付いたらイイさ。

愛して、愛して、愛し抜いたら、
惚れちまったと、気付かされる、
そんな気障ったらしい小咄でも。

--なぁ、アンタは。

意味があるから、生まれたタイプか。

意味があるから、生まれたタイプか。
聖処女のケツ穴から、クソに塗れて?

アチラのクレーターがデカイとか、
コチラのクレーターがキレイとか、
死ぬまで批評を続けてりゃイイさ。

--なぁ。

クレーターなんて、結局は。
クレーターでしか、ねぇよ。

クレーターなんか、
見ちゃいねぇんだ。

そうやって、
アンタの火薬が、
湿気っていくのが、
見ちゃいられねぇんだ。

とりあえず、食ってから。
とりあえず、犯してから。
とりあえず、眠ってから。

「はて、どうしてかしらん?」なんて。
ヌケヌケと、小首を傾げて、舌を出せ。

--木っ端微塵に、吹き飛ばせ。

木っ端微塵に、吹き飛ばしちまえば。
誰もクレーターなんか、気にしない。

誰もクレーターなんか、気にしない。



すべての無精卵へ。
ヒヨコの死骸より。

--親愛を込めて。

天獄の視える島

✳︎

【愛を想う】
俺は、壊れている。

其れは、俺が特別だからではない。
俺が、凡庸な人間、であるからだ。

凡庸な人間は、壊れている。

意識的にせよ、無意識的にせよ、
愛、という権威に縋らなければ、
生存さえままならぬほどに、
凡庸な人間は、壊れていて、
生命は、低下してしまった。

そんな、動物は。
人間の、他に見当たるまい。

動物も、哀しむ。寂しがる。
しかし、愛、という権威は、知らぬ。

俺は、壊れている。

ポンプ室は、ごうごうと、
唸りを上げている。

羊の時代、羊の時代、羊の時代、羊の時代、
羊の時代、羊の時代、羊の時代、羊の時代。

【魂を想う】
世界は、啓示に、満ち溢れている。今まで。

控え目に言って、
俺は天才なのだ。

俺の脳髄を、脊柱もろとも、
ズルゥリと、引っこ抜いて、
溢れた透明な粘液が、
赫い海を創った。

その中心に、ポツリと。

脳髄の島に、俺は立つ。
揚々と、国旗を掲げた。

生者の魂を、信じて。
死者の霊を、排して。

人間の円環の彼方には、
ニライカナイが視える。

ケツァルコアトル。羽毛の生えた蛇。
幽かに脈打つ、蒼い血を焚べ尽くし。

吹き荒ぶ砂鉄に、影像が融ける今際。

俺の、名前を。

--呼んで。

世界は、啓示に、満ち溢れていた。かつて。