【茜橋で待ってます】完結キター!!!(≧∀≦)
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最近、発見したコチラのブログ様!!!
めちゃくちゃ「澄んだコトバ」を書かれていらして、
更新が楽しみで楽しみで、仕方無かったのですが!
特に、今回の『茜橋で待ってます』は、
もう、ド真ん中のド真ん中を行く、
「青春小説」で、ございまして。
もう後編が、ホントにホントに楽しみで!(//∇//)
…正直、「暗号」については、
前編で察しが付いていただけに、
「ああああ、この流れは、この流れは!」
と、鯱狗は、後編の途中で、
一人で悶えていたのですが(苦笑)。
「そんなに遠くないよ」
って。スゲェ。スゲェとしか言えない。
こんな「澄んだコトバ」。
なかなか見ることは、叶わない。
「そんなに遠くないよ」
ヤバいね。
ぶっちゃけ涙脆い鯱狗には、ヤバかった(小声)。
作者の高岡ヨシ様、
素晴らしい作品を、
ありがとうございましたm(_ _)m
ああああ、こんなコトなら!
こんなに早く、後編を読めると、知っていたなら!
小説形態としては、約8年ぶり、
一人称モノとしては、約12年ぶりに、
変なモノ、書かなきゃ良かったorz
ではでは(白目)。
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』を《第五の奇書》に推す
- 作者: 倉阪鬼一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/08/07
- メディア: 新書
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もちろん、アフィリエイトではない。
ただ、一人でも多く、読みたまへ(笑)。
注:
「犯人」を含めて、以下のレビューは、
「瑣末事のネタバレ」については、厭わない。
実際、この作品に「フーダニット」などといった、
いわゆる“ミステリ”的な「価値」は殆ど「皆無」。
中井英夫『虚無への供物』(1964年)
--以上が、世に言う《三大奇書》。
竹本健治『匣の中の失落』(1978年)
--此れが《第四の奇書》と、目される。
そして、私は、其処に。
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』(2014年)
--此れを《第五の奇書》に、加えたい。
始めに、断っておく。
『波上館の犯罪』は、いわゆる“バカミス”ではない。
此れは、作者自身が断りを明言しているのだが、
改めて、強調しておきたい。
作者にとって、本作は、そのライフワークとする、
“交響曲シリーズ”の“第6番”であること。
“交響曲シリーズ”とは--。
(波丘駿一郎に叱られそうだが)
あえてジャンルで括るのならば、作者の、
「芸術館/死生観」を前面に打ち出した、
“幻想文学”のシリーズと、言えよう。
そして作者は、一方で、紛うこと無き、
エンタメとしての“バカミス”に精通しており、
「ある技術」を、その中で磨いてきた。
その「ある技術」を用いて、しかも、
“ミステリ”の「形式」で書き上げたから、
一部では「誤解」があるらしい故に、注記。
犯行の「手口」は「杜撰」を極めている。
しかも、その「杜撰」は“バカミス”として、
「笑いを取るため」ですらない。
強いて言えば、その「杜撰」は、いわば、
“一個人”ではなく“波丘駿一郎の娘”という、
犯人の「幼稚」の発露と見るべきだろう。
“娘”--すなわち“子供”であるが故に、
その「責任逃れ」は「杜撰で幼稚」だ。
ただし「行き当たりばったり」ではない。
特に“第二の殺人”--間島殺しは、
赤羽根警部には、絶対に「推理できない」。
自明な「“波上館”の必然」に則り、
成功させることができたわけなのだ。
《奇書》の「核心」である、
“アンチミステリ”を、充分に満たしている。
「“リーダビリティ”が悪い」という批判がある。
--随分と、勇気のある批判者だ。
「自分は“波丘駿一郎の亡霊”に、殺されはしない」
という「無邪気な自信」が無ければ、
『波上館の犯罪』を“リーダビリティ”の観点から、
批判することなど、とても出来やしないだろう。
というか、其れこそ《三大奇書》を、
“リーダビリティ”の観点から批判しても、
其れは「無意味」ではないか!(笑)
--此の作品も「同じ」だ。
ひょっとして“ノベルス形式”だから、
侮られているのかもしれないが、
其れこそ「ある技術」のための要請であり、
つまりは、最終的に行き着く「美」のための、
ただ、その一点に奉仕するための“文章”であり。
「必然的な“リーダビリティ”の悪さ」も、
また《奇書》の「核心」であることを、
思い出されたし。……其れでも、少なくとも、
軽く一万倍ぐらいは、読み易いからね!?(爆)
此の作品は、
『波上館殺人事件』ではない。
此の作品は、
『波上館の犯罪』である。
だから「告発」されるのは、
「殺人」ではなく「犯罪」だ。
「殺人」も「手口」も「犯人」すらも、
結局のところは「瑣末事」でしかない。
--何故《奇書》は、“ミステリ”なのか。
其れは「通俗のジャンル」であるからだ。
「通俗のジャンル」に、突如として、
恐るべき“神憑り”を起こした“文学の者”が、
ナイフを手に、狂乱の風態で、殴り込むからだ。
つまり「被害者」は、“ミステリ”だ。
だから人は、其れらの《奇書》をして、
“アンチミステリ”と、呼ぶわけである!(笑)
そして私は、以前より、
中井英夫『虚無への供物』に対する、
「傾倒」を、表明してきた。
--なればこそ、言わねばなるまい。
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』は、
紛うこと無き“アンチミステリ”であり。
そして。
“アンチ『虚無への供物』”の性格を、備える。
『虚無への供物』が、
「タナトスが見下ろした、海底のエロース」なら。
『波上館の犯罪』は、
「エロースが見上げた、波上のタナトス」である。
--奇しくも、中井英夫は、こう述べた。
小説は天帝に捧げる供物、
一行でも腐っていてはならない。
嗚呼、何ということか!
まさに『波上館の犯罪』を、
「絶賛している」ではないか!!!
莫迦げている?不毛な徒労??
さういうことは、まずは、
『黒死館殺人事件』を、
一文たりとも斜め読みすること無く、
完ペキに読破してから、申し上げなさい。
……もちろん、私には無理だ!(爆)
《奇書》の「核心」は、
“神憑り”を起こした、作者の「意志」だ。
倉阪鬼一郎、並びに、波丘駿一郎に、
敬意を評して、其れを“脳波”と呼んでも、
私は、一向に差し支えない(笑)。
以上の拙文を以って、
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』を、
《第五の奇書》に、私は推したい。
御拝読のほど、誠にありがとうございました。
果
✳︎
さようなら!
さようなら!
さようなら!
私は光。
貴女に絵本を与えた、盲の執事。
私は影。
青年の白杖を預かる、聾の侍女。
私は波紋。
常闇に手慰む、古ぼけたピアノ。
私は粒子。
少女の静謐な、水彩のスケッチ。
私は希求。
無銘の丘に建つ、素朴な御屋敷。
私は失望。
悠久の夏を想う、キネマの庭園。
私は愛。
植栽へと、惜しみなく注ぐ太陽。
私は恋。
青空の下、ぐったりした向日葵。
私は精神。
丘から見下ろした、鉄橋の汽車。
私は実体。
軋んでは慄かせる、陽炎の貨車。
私は過日。
橋脚の湖底に遊泳する、黒い魚。
私は行方。
洋館の遥かへ翔び発つ、白い鳥。
私は生。ではないのです。
私は死。でもないのです。
私は貴女。
か弱くとも気高い、深窓の詩人。
さようなら!
さようなら!
さようなら!
侍女は、執事に。
執事は、貴女に。
御暇を賜りたく、このように。
参りましたので、ございます。
さようなら!
さようなら!
さようなら!
貴女は、か弱い。
されど、気高い。
どうか、泣かないで。
どうぞ、笑っていて。
さようなら!
さようなら!
さようなら!
さようなら!
さようなら!
さようなら!
愛を讃える歌
✳︎
つまるところ。
恋とは、相互不理解への不安、であり。
愛とは、相互理解への安心、ですから。
思えば。ずっと、ずうっと。
陳腐ながら、有り体に。
私という男子は恋多き、
恋に恋する乙女であり。
人間に。
恋焦がれていたやうな、
そんな気が、致します。
現状は、ただ、ボンヤリと、
私という男子を、包み込む、
愛が。
皮膚から、ユルユルと、
浸透してくるのを、感じながら。
最期に。
そんな由無し事を、思うのです。
愛が。
ただ、愛だけが。
人間を救ひます。
「どうか、救ひたまへ。
私の思う人を、救ひたまへ。
まりや様、まりや様の観音様。
どうか。」
その小蜘蛛の、哀願を。
恋ゆえに。握り潰した官僚が、
私という男子であったのです。
恋は。血の池の、地獄に墜ちたまへ。
愛を讃える歌を、口遊みたいと、
心の底から、願うほどに。
不思議と、まるで。
歌は、遺書のやうに、
なってしまいました。
不安が無い、と言えば、
嘘に堕します。
愛は。今や、子宮のやうに。
私という男子を包み込んで。
皮膚から、ユルユルと、
浸透を致します。
つまりは。吉報が、
届きました。
『テムポ正しく、握手をしませう。』
肌身離さず、持ち歩いていた。
中原中也の詩集を、
書棚のどちらに、仕舞おうか。
算段しております。
--売っ払ってしまうのは、切ないから。
(ハイフンを、多用するのは、いかにも、
中也らしい、幼稚な気障ったらしさで、
いつも、ついつい、笑ってしまいます。)
控え目に言って、
私は天才でした。
私という男子の、
脱け殻を遺して。
レスラーのやうに女々しくも、
一人前の、らしき男となって。
この惑星の、いとも茫漠たる、
大黒柱を支えたき、所存です。
イッパイ、イッパイ。精一杯の。
些か、未完成ながらも。
テムポ正しい。
愛に恋する歌。
阿呆酔夢の即興、或いは鎮魂歌
✳︎
--なぁ、アンタは。
小腹が空いたから、食うタイプか。
ムラリとしたから、犯すタイプか。
アクビが出たから、眠るタイプか。
惚れたから、愛すタイプか。
憎んだから、殺すタイプか。
死ぬまで批評家で、死ぬまで冷笑家で。
健康で、文化的な人生だな、まったく!
芸術は爆発で、作品なんて、
クレーターに、過ぎねぇよ。
とにかく、殺しちまってから、
どうやら、憎かったらしいと、
ぼんやり、気付いたらイイさ。
愛して、愛して、愛し抜いたら、
惚れちまったと、気付かされる、
そんな気障ったらしい小咄でも。
--なぁ、アンタは。
意味があるから、生まれたタイプか。
意味があるから、生まれたタイプか。
聖処女のケツ穴から、クソに塗れて?
アチラのクレーターがデカイとか、
コチラのクレーターがキレイとか、
死ぬまで批評を続けてりゃイイさ。
--なぁ。
クレーターなんて、結局は。
クレーターでしか、ねぇよ。
クレーターなんか、
見ちゃいねぇんだ。
そうやって、
アンタの火薬が、
湿気っていくのが、
見ちゃいられねぇんだ。
とりあえず、食ってから。
とりあえず、犯してから。
とりあえず、眠ってから。
「はて、どうしてかしらん?」なんて。
ヌケヌケと、小首を傾げて、舌を出せ。
--木っ端微塵に、吹き飛ばせ。
木っ端微塵に、吹き飛ばしちまえば。
誰もクレーターなんか、気にしない。
誰もクレーターなんか、気にしない。
すべての無精卵へ。
ヒヨコの死骸より。
--親愛を込めて。
天獄の視える島
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【愛を想う】
俺は、壊れている。
其れは、俺が特別だからではない。
俺が、凡庸な人間、であるからだ。
凡庸な人間は、壊れている。
意識的にせよ、無意識的にせよ、
愛、という権威に縋らなければ、
生存さえままならぬほどに、
凡庸な人間は、壊れていて、
生命は、低下してしまった。
そんな、動物は。
人間の、他に見当たるまい。
動物も、哀しむ。寂しがる。
しかし、愛、という権威は、知らぬ。
俺は、壊れている。
ポンプ室は、ごうごうと、
唸りを上げている。
羊の時代、羊の時代、羊の時代、羊の時代、
羊の時代、羊の時代、羊の時代、羊の時代。
【魂を想う】
世界は、啓示に、満ち溢れている。今まで。
控え目に言って、
俺は天才なのだ。
俺の脳髄を、脊柱もろとも、
ズルゥリと、引っこ抜いて、
溢れた透明な粘液が、
赫い海を創った。
その中心に、ポツリと。
脳髄の島に、俺は立つ。
揚々と、国旗を掲げた。
生者の魂を、信じて。
死者の霊を、排して。
人間の円環の彼方には、
ニライカナイが視える。
ケツァルコアトル。羽毛の生えた蛇。
幽かに脈打つ、蒼い血を焚べ尽くし。
吹き荒ぶ砂鉄に、影像が融ける今際。
俺の、名前を。
--呼んで。
世界は、啓示に、満ち溢れていた。かつて。