【青春タンクデサント】a9「first date, last date」
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月曜日。
学校の廊下で、睦美紅子とすれ違った。
会釈をする。愛想良く、会釈を返される。
もちろん、放課後の“招集”は、掛からない。
十二月を、淡々と迎える。
“測量オジサン”の「予言の日」まで。
一ヶ月を、切った。
木枯らしが吹き荒ぶ、帰り途を歩く。
僕は、一人で。
先輩が、クラスの友人と思しき女子の一団と、カラオケに入っていくのを、見掛けた。
真っ赤なヘアバンドが、揺れていた。
週末の土曜日。電車を乗り継いで。
姫宮絵里の墓参りに行った。
『彼女は、きっと、“チューニング”を受けても』
『何一つ『変わらなかった人』なんだよ!!!』
先輩の叫んだ言葉が。脳裏にリフレインする。
あの野暮ったい眼鏡を掛けた、三つ編みの少女なら。
今の、僕に。
いったい、どんな言葉を掛けるのだろう。
「……あるがままになんて、どうやって、生きられる?」
--姫宮絵里は。
その瞬間に「自分が死ぬ」ことを。
知らないまま。“祝福”の銃弾に、貫かれた。
なんて「理不尽」な話だろう。
『いいか、私達、“タンクデサント部”は!!!』
『『不条理』と『理不尽』を、明確に『区別』する!』
どうして、こんなにも。
既に“解散”したはずの。
“タンクデサント部”の、“部長”の言葉を。
僕は、思い出すのだろう。
「あるがままになんて……生きられないよ。姫宮さん」
墓石は、ただの「モノ」だ。
「……それでも、さ」
僕に「答えて」は、くれない。
「やれるだけ、やってみようって、思うんだ」
十二月の、一週目が終わる。
『犬飼君は、それ、何を読んでるの?』
桜舞い散る、入学して早々の教室で。
僕に話し掛けてくれた少女の墓を、後にする。
いつか、肩を並べて座った、霊園の休憩所のベンチに、腰を落として。
取り出したスマホの電話帳を、タップする。
“睦美先輩”と登録された、その番号を。
呼び出し音が、続く。
--相手が、出ない。
留守電に切り替わるまでは、待とうと腹を括った。
ちょうど、その時。
『……随分と、粘ったね?』
スピーカー越しに、約一週間ぶりの。
ハスキーで明朗な、睦美紅子の声が、聞こえた。
「……すいません」
自分の吐く息が、白く揺らめく。
『まぁ、イイさ。それで、用件は?』
淡々と事務的な、先輩の言葉を。
乗り越えて。
「……先輩」
『ん?』
「二十四日のクリスマス・イブ、空けといて下さい」
敢えて「空いてますか」とは、聞かない。
僕は、一息に。
「僕と、デートして下さい。先輩」
沈黙。スピーカーからは、微かなノイズ。
そして溜息が、続いた。
「知ってます」
『ついでに言うと、別にキミと私は、付き合っていたワケでもないからね?』
「知ってます」
--引き下がるつもりは、まったく無い。
「だからって、デートに誘っちゃいけない『理由』には、なりませんよね?」
先輩の「理論武装」は、認めない。
『……今日は随分と、強引だね?』
「ええ。強引じゃなきゃ、先輩みたいな『美人』をデートのお誘いなんて、できませんから」
溜息を、もう一つ吐いて。
『……イイよ。分かったよ』
あの、睦美紅子が。
『イブの日に、キミとデートに、付き合ってあげる』
僕に、根負けした。
「ありがとうございます」
『プランは、キミに丸投げだからね?まぁ、せいぜい頑張ってよ、犬飼恭兵クン』
「もちろん、そのつもりです」
微かに、僕の声が震えた。気がした。
「あと、犬飼でイイです。--それじゃあ」
誤魔化すように、お決まりのツッコミで。
通話を、終えた。
「……ふぅ……」
16歳。初めての、クリスマス・デートの約束を。
冬枯れの霊園の、一角で。
こうして僕は、取り付けた。
--二週間が、過ぎていく。
“タンクデサント部”は、既に無い。
放課後の“活動”は、既に無い。
ただ「約束」だけが、ある。
待合せのメールを送る。
街のBGMがクリスマス・ソングに染まる。
二十四日を、迎える。
「ふーん……ある意味、予想を裏切られたね」
先輩と僕は、その日。
「いや、まさかキミが、こんな『ベタ』な感じで、攻めてくるっていうのは、さ?」
県内の遊園地に、来ていた。
「イイじゃないですか。『ベタ』な感じで」
幸いにも、絶好の晴れ模様。
「その割には、ディズニーランドってワケでもなく?」
「混むでしょう。こんなモンじゃ済まないですよ?」
親子連れ、友人連れ、そしてカップル。
賑わう園内を、一瞥する。
「……それに」
「それに?」
「ディズニーランドには、アレ、無いでしょう」
見上げる先には、ランドマークのように聳え立つ。
巨大な観覧車が、僕らを見下ろしていた。
「……ブフッ」
堪え切れず、先輩が吹いた。
「盛大なネタばらしだろうが、うわ、ソレは、アレだな!割と、気恥ずかしいぞ!?」
何故か「デートの相手」に、冷やかされて。
「イイじゃないですか!?それこそ『ベタ』で!」
僕は、たぶん顔を真っ赤に、反論する。
そこへちょうど、にこにことした係員が、次回の乗客の案内に現れる。
「ディズニーだったら、きっと、軽く、この倍以上は待たされますからね!?」
特に日本一高いワケでも、日本一速いワケでもないジェットコースターに、横並びに乗り込む。
「おおぅ、何年ぶりだろう?」
カタカタと引っ張り上げられる車両で、長い黒髪をした彼女は、そう言って笑うと。
「フフッ、なかなか、ドキドキするな?」
隣の僕の手を、包むように、握り込んでいた。
そして、急速で、降下--。
コーヒーカップ。カート。お化け屋敷。3Dシアター。冬のソフトクリーム。「ベタ」で良いと、開き直って。
焦茶色のダッフルコートを羽織った睦美紅子を、僕は、目一杯に連れ回す。他愛も無い話で、からかい合って。
ジングルベルと、飾り立てられたツリー。
十二月の、あっという間の夕暮れ。宵闇。
「フフッ、ナルホド。コレは、なかなか」
彩りどりにライトアップされて煌めく、大観覧車。
「悪くない。思った以上に、グッと来るな」
ゆるゆると上昇していくゴンドラから、遠い街の灯りを見下ろして。先輩が笑みを浮かべる。
「まぁ、及第点なんじゃないか?」
吊り目がちの眼差しを細めて、僕を覗き込んでくる。
「キミが言うトコロの、『ベタな初デート』としては」
「……ありがとうございます」
ゴンドラは、間も無く頂点に到達する。
そして僕は、ショルダーバッグから。
「コレ。どうぞ、クリスマス・プレゼントです」
細長い小箱を、睦美紅子に差し出す。
「……ナルホド。確かに、大事なイベントだな。『ベタ』な展開で、やる上では」
少し驚いた素振りを、彼女は誤魔化すように。
「開けてみて、イイのかな?」
僕は首肯して、先輩が丁寧にラッピングを剥がすのを、静かに見守る。
「フム……流石に、万年筆では、なかったか」
シルバーのペンダント。
ヘッドは、小さな薔薇を象っている。
「初めて逢った時に、お借りしたハンカチの柄。薔薇が、好きなのかなって、思いまして」
「ああ……ナルホドね?」
先輩は微苦笑。そして、コートのボタンを一つ外して、チェーンを首の後ろに回す。
「……フフッ、似合うかな?」
ブラウスの襟を弄りながら、はにかんでみせる。
「ええ、とても」
「フフッ、ありがとうね」
ゴンドラが、頂点を通過して。下り始める。
「……コレで、キミの」
彼方の夜景は、僕らが住む町より、随分と立派だ。
「とっても『ベタ』なデートプランは、オシマイかな?」
睦美紅子が、僕に訊ねる。
「ええ。まぁ、そうですね」
すると彼女は、にやりと口角を上げて。
「ふーん、ソレはまた『健全』だねぇ?」
フフン、っと鼻を鳴らした。
「もうちょっと、男子高校生ってのは『下心』があるモノかと、思ってたけど」
--からかわれている?試されている?
しかし、どの道。
「別にイイですよ?……キスでも、セックスでも」
僕は、こんな「ツマラナイ」ことしか。
「先輩と僕は、付き合ってもいませんが」
どうせ、言えない。そういう人間なのだ。
「--先輩が、ソレを、望むなら」
空中の密室で、嫌に、自分の声が響く。
上ずっているような気がして、情けなくなる。
「ナルホドね……そう言われてみれば」
今日の先輩は「ナルホド」とばかり、言っている。
「例えば、私が男だったなら。『生命の危機』に際して、生殖本能が働く、シチュエーションかもしれない」
ゴンドラが、円周の四分の三を過ぎる。
「しかし、あいにく、私は女だ。『そーゆー気分』でも、無かったみたいだよ」
まるで「他人事」のように、目の前の「美人」は、首を横に振った。
「フフッ、期待させて、すまなかったな?犬飼少年」
「……だから、犬飼でイイです」
「ワンコ少年?」
「ツッコミませんし、“お手”もしません!」
差し出された右手は、握り返さない。
まもなく、地上が。
先輩と僕を、待ち受けていた。
--クリスマス・デートが、終わる。
日付が変わる前に、睦美紅子を、家まで送り届ける。
「今日は、楽しかったよ。コレは、ホントに」
見飽きた、判で押したような住宅街を、抜けて。
「ホントに『良い思い出』に、なったから」
白い吐息で。真っ赤なヘアバンドの少女が。
僕の方を、振り返る。
「ありがとう。--じゃあね」
そして、歩み去ろうとする、彼女を。
「--待って下さい!」
僕の、ありったけの「覚悟」を、振り絞って。
「待って、下さい」
「……怖い顔、してるね?」
睦美紅子を、引き留める。
「“デート”は終わりました。その上で、聞いて下さい」
心臓が、張り裂けそうになっても。
いっそ、張り裂けてしまったって。
「二十八日の、夕方五時から」
「僕は、中央公園で、待ってます」
閑静な夜半を、僕の声が、静かに裂いた。
--長い、長い、沈黙を置いて。
「キミは……『正気』かい?」
たとえ、先輩に。「どんな顔」で、睨まれても。
「幾ら何でも、そんな『義理』は、キミには『無い』」
「いいえ、『あります』」
僕はもう、絶対に。
「“タンクデサント部”の、唯一の“部員”として」
逃げない。--否、「逃げられない」。
「先輩は、御存知ですか?」
僕は、精一杯の笑みを、作ってみせる。
「“引退したプロレスラー”は、必ず『復帰』するし」
睦美紅子の、お株を奪うように。
「“解散したバンド”は、必ず『再結成』するんです」
--やれるだけ、やってみる、と。
今は亡き、姫宮絵里にも。僕は、誓ったのだから。
「だから、僕は、待ってます。--“部長”のコトを」
再びの沈黙を、破って。
その人は、俯いたまま。
「だから、私がキミに『約束するコトバ』は、無い」
「構いません」
「私は、結局、『現れない』かもしれない」
「構いません」
僕の中に、もう「迷い」は無い。
「ソレは“デート”じゃ、ありませんので」
恐る恐る、といった風で、顔を上げた先輩に。
「僕は、『勝手に待ってます』から」
今度こそ、自然な笑顔を、見せられたと思う。
「それじゃあ、また」
僕は、来た道を駅に向かって、踵を返した。
ぎりぎりで、終電には間に合うだろう。
--まもなく。日付が、変われば。
“測量オジサン”の「予言」の、三日前。
『貴様の『現状認識』は正しい。そうとも、私達は、まったく『戦時下』にあると、考えるべきなのだから!』
初めて出逢った、あの、春の日の。
睦美紅子の、力強い「宣言」が、胸に去来する。
たとえ。その“祝福”の銃弾が。
絶対に「不可避」であったとしても。
--やれるだけ、やってみる。
そんな「矜持のようなモノ」を。
この僕に、教えてくれたのは。
我らが“タンクデサント部”の、愛すべき“部長”。
睦美紅子、その人なのだから。
終電に、揺られて。
日付が、変わった。