【2017・G1】内藤哲也vs飯伏幸太を、糾弾しようか(失笑)
✳︎
まず初めに、書いておく。
自分は、その試合を観ていない。
ワープロも、とっくに解約した。
試合を観ていないけれども、言わせて貰う。
試合を観ていないからこそ、言わせて貰う。
馬鹿は、死んでも、治らねーのな?(嘲笑)
本間朋晃選手は「事故」だった。
柴田勝頼選手も「事故」だった。
(両選手の健やかな回復を、心より祈念しております)
内藤哲也選手に、もし、
「何か」があったなら。
(逆の場合もまた然り)
ソレは「事故」じゃねーぞ。
ソレは「殺人」だ。
「犯人」は、飯伏幸太選手じゃねー。
(逆の場合もまた然り)
新日本プロレス株式会社が「主犯」。
そして。
会場で応援しているファン。
ワープロで応援しているファン。
--アンタらが「共犯」さ。
「前から危ないと思ってたんだ!」って?
……カマトトぶってんじゃねーよ。
ソレをアンタは喜んで、観てたんだろ?
WWEには真似できない、なんて?(失笑)
「観てもない人間が批判するな!」って?
……それじゃあ、お聞きしますが?
「ファンはちゃんと声を上げている!」と、
そう仰る、不特定多数の、ファンの、皆様?
その結果、何か「改善」は、されましたか?
(鯱狗が大好きだった、内藤哲也のフロウで)
新日本プロレス株式会社に届いているのは、
来場者数と、視聴者数の、絶好調なデータ。
そして、ファンが落とすカネ、カネ、カネ!
それだけじゃ、なかったんですか!?
(選手をオモチャにする会社にガチ切れした、
……俺は、マジで、怒ってんだよ。
シュートだよ。コイツは100%の。
ヒロムとオカダと、あとついでにケニーに、
「危険技批判の封殺/レスラー超人宣言」を、
ファンに向かってヌケヌケと発信させた、
クソ殺人未遂プロレス株式会社によぉ!?
「試合を観てもいない」ことこそ、
俺の「怒り」のシュートたる由縁。
これ以上は1円だって、落としてたまるか。
……いつまで「結果論」を続ける?
「結果的」に、負傷者は出ませんでした!
「結果的」に、死亡者は出ませんでした!
……いつまで、続けるんだ?……なぁ……。
馬鹿は死んでも治らない。
馬鹿は、死んでも、治らない。
弊ブログの講読解除は、もちろん御自由!(笑)
グッバイ♪
(ケニーのフロウで)
……あーあ。
もう更新する予定は、
無かったんだけどな。
このクソブログ(苦笑)。
まぁ、引退宣言したワケじゃ、
無かったから、許してちょ(殴)。
(コレがSNS中毒ってヤツ?www)
【たとひわれ死のかげの谷を農王系】必読の「反語的“カーゴ・カルト”叙事詩」的な!
the-cosmological-fort.hatenablog.com
✳︎
……猛烈に「後悔」している。
以前より登録していた、
TCF様の《うちゅうてきなとりで》。
もっと早く、きちんと、読み込むべきであった!!!
まずは“詩”において!
あの「質」の作品を、“ポエム”と自嘲されては、
自作を“詩”と称している鯱狗は、
トンデモなく「ダサい」ので、とても困る!(殴)
せめて“ポエトリー”なら、ともかくw
……実際、正直なトコロ、
“詩”において「嫉妬」を覚えるのは、
久しく無かった感覚である(ー ー;)
まったく、完全に「異なる政治」であれば、
そういった「嫉妬」など、起こらなかった。
「政治」において、
「近い志向」かつ「より上質」であるから、
そのような「女々しい感情」が起こるのだ(失笑)。
そして「決定打」こそが、冒頭の小説、
『たとひわれ死のかげの谷を農王系』!!!
……何だコレは!?(呆然)
何なんだコレは!!?(恐怖)
《痕跡器官(呪術)としての官僚機構(文明)》
無理矢理に“言語化”を図るのであれば、
ソレらの羅列に、圧倒されるしかない。
--つまりは“カーゴ・カルト”だ。
“現代社会”は在るが、“科学”は無い。
“小説”であるが、むしろ“叙事詩”だ。
その“叙事詩”としての「質」の前には、
「事実か虚構か」など、瑣末事である。
……鯱狗は、打ちひしがれるしか、ない。
鯱狗は“ファシスト見習い”として、
「最重要論考」と称して「平易」な、
“ファシズム”の「概論(失笑)」を書いた。
……ソレは“敗北主義”でしか、なかった。
鯱狗は「小説(失笑)」も、書いた。
「青春小説」という「お題」で縛り、
17歳ではなく、30歳の作者として、
「ハッピーエンド」で、締め括った。
……所詮は、
“スターリニスト”の「科学」に対して、
“ファシスト”は「屁理屈」を捏ねて、
「対抗ゴッコ」をしているだけなのだ。
鯱狗の描いた“祝福”の「システム(笑)」など、
「安全帯の先を、下で待つ者が握る」という、
《農王系》を前にしては「児戯」に等しい!
“擬似革命”を「“擬似革命”として称揚する」。
“ファシスト”の「確信犯(誤用)」とは、結局、
「退屈な“ニヒリズム”」の延長上でしかない。
……完膚なきまでに「看破」されたも同然。
《“敵”を作ることから、創造的な仕事が始まる》
その、あまりにも明白な“真理”に対して、
“擬似革命”しか提示できない“ファシズム”は、
端的に言ってしまえば「ショボ過ぎ」なのだ。
“敵”を作るためには“官僚機構”が要るし、
“敵”を作るのが目的であるのだから、
“科学”は無用の長物。必要なのは“呪術”。
そして“敵”を発見するための“偵察”なのだ。
……間違っても“擬似革命”などでは、ない。
コレは“スターリニズム”に見せかけて、
強烈な“反スターリニズム”である。
しかも“反スターリニズム”のためには、
もはや“ファシズム”しか可能性は無い、
と訴える、我々“ファシスト”に対しても、
“反ファシズム”の立場を明らかにしている。
“偵察”は「無私の、公共への奉仕」だ。
ソレは“ファシズム”には「あり得ない」。
鯱狗は《この政治思想》に対して、
適切な「代名詞」を、知らない。
……理解っては、いた。
“ファシズム”を信奉する、鯱狗は。
“政治”にコミットするには、あまりに、
「フェミニンなミソジニスト」だった。
噛み砕いて言えば、
「殴って謝る、女々しいDV男」と、
その「精神性」において、同等である。
つまりは“敗北主義”である。
長官である“わたし”と、情報員が、
“執行”と“研究”の「適正な分離」について、
《約束動作》として、掴み合いを始める。
“ファシスト”の鯱狗からは、
絶対に「出てこない」アイデアだ。
『たとひわれ死のかげの谷を農王系』には、
現時点まで“女性”に値する存在は、
《農王》その人しか、現れていない。
そして彼は、“男子”として、
「無私の、公共への奉仕」のため、
自ら進んで“去勢”を選んだ。
どこからか“巫女”を引っ張ってくるしか、
「能の無い」。我々“ファシスト”には、
到底、思いも寄らぬ「境地」である。
……理解っている。
我々“ファシスト”は。少なくとも鯱狗は。
『たとひわれ死のかげの谷を農王系』における、
“真の敵”と「戦う」上での「邪魔な害虫」。
《農王》の「君側の奸」。醜く卑しい紫包帯。
“侍従武官”バハードゥル。
まさに「その人」である。
《農王》の君側に仕えながら、
「目に見える紫」を纏う、その許し難き「不敬」。
……自己嫌悪で、吐き気を催す。
《農王》と聞いて、鯱狗は真っ先に、
《神農皇帝》を想起した。
“ファシスト”として、そして、
“ルンペンプロレタリアート”として、
“テキ屋”に共感(シンパシー)を抱く鯱狗は、
実に勝手に「期待」を寄せた。
……大間違いであった。
誤解と矮小化を承知で喩えるなら、
「国それ自体」が、“異邦人”であるのだ。
「喪われた故郷」を求めて彷徨う、
我々“ファシスト”の「女々しさ」を、
嘲笑うかのように。
この作者である、TCF様は、
1987年生まれ30歳の鯱狗の、
少し歳上ぐらいで、あるらしい。
つまり、30代前半だ。
それでいて。
自らの身体の頑健に励まれ、
自ら異邦の言葉を学んで、
自らの足で、“異邦人”として、
世界を周遊されていらっしゃる。
読書の、量も、質も、
鯱狗など、足元にも及ばない。
この、鯱狗の女々しい、嫉妬の翠の焔!!!
……鯱狗のブログを読んで下さっている、
奇特な読者の方の、9割方は、
鯱狗が“ファシズム”を語り、“政治”を語るのが、
面白くはないだろうと、理解している。
純粋な音楽のブログであって欲しいか、
純粋な創作のブログであって欲しいか、
或いは、
純粋なプロレスのブログに戻って欲しいか、
まぁ、だいたい、そのいずれかだろう。
それでも。
『たとひわれ死のかげの谷を農王系』は、
読んで欲しい。読んで頂きたい。
ゴチャゴチャ言わんと、読め!!!(爆)
「市井の哲人」を、見て見ぬフリはできぬ、
その程度の「ちっぽけな良心」ぐらい、
こんな鯱狗だって、持ち合わせている!
……安心して頂きたい。
『たとひわれ死のかげの谷を農王系』は、
純粋に「エンターテイメント」としても、
まったく一級の作品である!
最新14話では、いよいよ、
“敵”が「受肉」を果たそうとしている。
続きに、期待するしかない!(笑)
以上、御拝読のほど、誠にありがとうございました。
【ヘビーメタルと文芸少女】全123話読了!
✳︎
45話までの感想はコチラ!
ネタバレとか一切、気にせず書くので御注意!(>_<)
オーケー?
それではまた、順不同の箇条書きにw
◆
美山はNINにハマったかwww
そして「ザ・ビューティフル・ピープル」ネタ(笑)。
ネーミングは、やっぱり美山かな?w
NIN、MMと来たら、超マニアックなトコロなら、
Psyclon Nineとか、オススメですよ?(爆)
◆
Dinosaur Jr.の3枚目……“Bug”か。
鯱狗は、2枚目の方が好き(苦笑)。
◆
結末は納得!
酔ってニゴイを焚火に投げる倉田は「コチラ側」。
須永と横井は、言うなれば「アチラ側」だから。
そして、横井は「努力」をしている。
倉田がメタリカを聴き始めて、そして、
最後に「正解」に辿り着いたのと、同じ「努力」。
ユリカは、須永について、
何か「努力」をしただろうか。
そーゆーコト。……女性から見て、
「純情を武器にする」ユリカって、
どういう風に映るんだろう?(苦笑)
鯱狗は、ちょっと苦手だったかも(殴)。
その辺は、倉田に馴れ馴れしい美山に、
理不尽に嫉妬する描写もある通り、
作者様も「織込済」かと存じ上げますがw
◆
美山は西川とくっ付いたか……。
これは、意表を突かれました。
いや、もし、美山が誰かと、くっ付くなら。
大沢じゃないかと(爆)。
そう、思っていたモノでして(苦笑)。
大沢は、本当に、ただの「ピエロ」だったのか。
……鯱狗は、大沢の「内面」に、
スゴく「興味」があった。
曲がりなりにも「理解者」のいた美山より、
大沢の「孤独」は、絶望的に「深い」のでは。
美山のように、己の「痛々しさ」を、
「嘆く権利」すら、このセカイで。
「ピエロ」の大沢には「与えられていない」。
その「内面」に、もし「触れ得るモノ」が、
あの浮世離れした文芸部の面々に、いるなら。
ソレは、美山なのかな……って。
ちょっと、勝手に妄想しておりまして(苦笑)。
◆
文芸部パート、バイト先パートと、比べて。
デスピノパートは、濃密な描写に反して、
「現実感が希薄」だった印象。
……まぁ、当たり前なのですが(苦笑)。
「デスピノのユリカ」は、他のパートで、
「コチラ側」にいたユリカが、
「アチラ側」にいるんですよね。
ソレは「天才ギター少女」であって、
「大石ユリカ」としての「実在感は希薄」。
だから、文芸部の面々と比べて、
デスピノのメンバーは、どこか「希薄」。
そんな中で、強烈に「幼稚な悪意」を見せた、
コウタローの圧倒的な「存在感」に、
鯱狗はヤられましたね!(爆)
コウタローの「存在感」が強烈過ぎて、
デスピノの面々は「霞んでしまった」。
……やっぱ鯱狗は、
メタラーよりパンクス寄りなのかなぁ(苦笑)。
◆
佐久間会長……う〜ん、ソコで引き下がるか。
鯱狗は、佐久間会長が、
スッゲー「カッコ良い」と、思ったんですよねw
「数を正義に熱狂する群衆」を前にしたとて。
「たとえ独りでも、己の信念は曲げない」って。
スッゲー「ロック」だ、この人!って(爆)。
だいたい、デスピノは「ズル」してるんです。
ボヤ騒ぎで部室の鍵を取り上げられたのに、
二度目のボヤ騒ぎを「利用」して、
千人の聴衆を集めたワケで(苦笑)。
ソレって……「ズル」じゃない??
約束は約束だから、鍵は返すとして。
何か「イヤミ」の一つでも、返してくれるかと、
ちょっと期待してしまったワケですが。
その時に、もし、マヤ達が。
ソレは「コウタローが勝手にやったコト」と、
「幼稚な悪意」を見せたとしたら。
果たして、ユリカは、どうしたんだろう?と。
「アチラ側」に立つのか。「コチラ側」に立つのか。
ちょっとだけ妄想(殴)。
佐久間会長は、親に隠れて、
ハードコア・パンクとか(!)、
聴いてたかもしれない、なんてw
◆
再び、ラストシーンの話。
倉田の「月が綺麗だな」で、思い出したのが。
高岡ヨシ様の『茜橋で待ってます』のラスト。
サキヤマさんの、
「一緒にサブちゃんの詩集は読めないかもしれないけど」
だったんですよねw
「好対照」で、どちらも「正解」。
むしろ「間違いなんか無い」!(爆)
いやぁ、「青春」って本当に、良いモンですねw
(水野晴郎のフロウで)
というワケで、
ボリュームに違わぬ、大満足でございました!
……やっぱ「青春小説」は、こうでなくちゃ(苦笑)。
次は『土管の向こうの街』やねw
ではでは!
【ヘビーメタルと文芸少女】3章/45話まで読了!
✳︎
最近、お気に入りの、コチラのブログ様♪
良きパパにして、生き様が「ロック」!(笑)
30歳の鯱狗が憧れる、オジサマ枠でございますw
そして、小説を公開されているんですよね!
……鯱狗は、昔から。
自分が気合を入れて小説を書いている最中は、
一定より長い、人様の小説を「読めない」って、
困った「悪癖(?)」が、ございまして(苦笑)。
ようやく『青春タンクデサント』も書き上げたので、
以前から気になっていた、なるかみ音海様の第一作、
『ヘビーメタルと文芸少女』の講読を開始!( ̄▽ ̄)
◆
全123話という数字に、ビビっていた(苦笑)のですが、
1話当たりの分量とテンポが適量なので、とりあえず、
ビビる必要は、ございません!w
◆
大石と大沢。
……鯱狗、苗字、覚えるの、苦手。
(未開人のフロウで)
◆
Carcassの話題についてこれる女子高生www
Paracoccidioidomicosisproctitissarcomucosisの、
話題を出しても、ヒかれないかなぁ?(笑)
……いや、Paracocci(以下略)に、語るべきような、
ギターのテクニックとか、何も無いですケド(殴)。
◆
実在する土地や施設の名前で、詳細に、
小説を書けるのは、基本的にスゴいヒト。
ちゃんと「地に足が着いている」から。
◆
36〜38話が、白眉!
美山をただ「引き立て役のキャラクター」ではなく、
「血の通った人間」として、しっかりと描いている。
そして「メッセージ性」。
たとえ、稚拙でも、借り物でも。
その「音」が、誰かの「ココロに届く」なら。
ソレを「奏でる意味はある」んだーーって。
つまりは「パンクの精神」なんですよ!(笑)
ソレを「技巧派メタラー」に、語らせる。
その「構図」が、メチャクチャ「大事」で!
ソレを、もし。誰かが、伝えられていたなら。
……カート・コバーンは。
死ななくても、良かったかも、しれなかった。
「俺は、パンクの魂を、商業主義に売っちまった」
なんて、思い詰めるコト、無かったんだ、って。
大石ユリカの「メッセージ」は、
メタルを死ぬほど嫌悪したカートへの、
「メタラーからの回答」足り得るモノ。
この回は、ホントに大好きです!(笑)
……後半では、あのキャラや、あのキャラも、
「血が通っていく」のかなぁと、楽しみですw
◆
蛇足。個人的な思い出(殴)。
鯱狗は、まさに、大学では。
文芸部と軽音部を、掛け持ちで。
小説と詩と、自作ポップパンク・バンドに、
明け暮れていたワケですが(苦笑)。
ある日の、文芸部にて。
部内でも、頭一つ飛び抜けて、
プロ級の小説を書く、女子部員が。
「私は、鯱狗君の詩が、嫌いだよ」
「そのコトバで、もっと違ったコトを、書いて欲しいと、思っている」
「それでも、鯱狗君のは、“詩”と呼べる」
「(新入部員の)◯◯さんのはナニ?“ポエム”?」
「部誌に載せる価値、無いよ」
「“詩”っていうなら、せめて、このレベルで出して?」
などと、いきなり(汗)。
初めて、小説ではなく、詩の原稿を叩き付けて。
ソレがまた、鯱狗など、足元にも及ばぬ、
虚飾を排しながら、哲学者な心象に満ちた、
凄まじいレベルの“詩”だったりしたモノで。
面と向かって「無価値のポエム」と言われた、
後輩の◯◯さんは、泣き出しちゃうし(呆然)。
唐突に引き合いに出された、鯱狗はどうしろと?
……そんな「修羅場」の記憶が、甦ったり(白目)。
とりあえず、本日は、ここまで♪
後半の感想は、また後日!
皆様も、是非とも、お読み頂けたら!
繰り返しですが、全123話にビビるのは、
勿体無いですので!(笑)
ソレからソレから。
高岡ヨシ様の『茜橋で待ってます』は、
鯱狗は、何度でも、推しますので!(爆)
……こんな辺境のクソブログじゃ、
宣伝にも、なりませんけれど(殴)。
ではでは!w
【茜橋で待ってます】完結キター!!!(≧∀≦)
✳︎
最近、発見したコチラのブログ様!!!
めちゃくちゃ「澄んだコトバ」を書かれていらして、
更新が楽しみで楽しみで、仕方無かったのですが!
特に、今回の『茜橋で待ってます』は、
もう、ド真ん中のド真ん中を行く、
「青春小説」で、ございまして。
もう後編が、ホントにホントに楽しみで!(//∇//)
…正直、「暗号」については、
前編で察しが付いていただけに、
「ああああ、この流れは、この流れは!」
と、鯱狗は、後編の途中で、
一人で悶えていたのですが(苦笑)。
「そんなに遠くないよ」
って。スゲェ。スゲェとしか言えない。
こんな「澄んだコトバ」。
なかなか見ることは、叶わない。
「そんなに遠くないよ」
ヤバいね。
ぶっちゃけ涙脆い鯱狗には、ヤバかった(小声)。
作者の高岡ヨシ様、
素晴らしい作品を、
ありがとうございましたm(_ _)m
ああああ、こんなコトなら!
こんなに早く、後編を読めると、知っていたなら!
小説形態としては、約8年ぶり、
一人称モノとしては、約12年ぶりに、
変なモノ、書かなきゃ良かったorz
ではでは(白目)。
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』を《第五の奇書》に推す
- 作者: 倉阪鬼一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/08/07
- メディア: 新書
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もちろん、アフィリエイトではない。
ただ、一人でも多く、読みたまへ(笑)。
注:
「犯人」を含めて、以下のレビューは、
「瑣末事のネタバレ」については、厭わない。
実際、この作品に「フーダニット」などといった、
いわゆる“ミステリ”的な「価値」は殆ど「皆無」。
中井英夫『虚無への供物』(1964年)
--以上が、世に言う《三大奇書》。
竹本健治『匣の中の失落』(1978年)
--此れが《第四の奇書》と、目される。
そして、私は、其処に。
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』(2014年)
--此れを《第五の奇書》に、加えたい。
始めに、断っておく。
『波上館の犯罪』は、いわゆる“バカミス”ではない。
此れは、作者自身が断りを明言しているのだが、
改めて、強調しておきたい。
作者にとって、本作は、そのライフワークとする、
“交響曲シリーズ”の“第6番”であること。
“交響曲シリーズ”とは--。
(波丘駿一郎に叱られそうだが)
あえてジャンルで括るのならば、作者の、
「芸術館/死生観」を前面に打ち出した、
“幻想文学”のシリーズと、言えよう。
そして作者は、一方で、紛うこと無き、
エンタメとしての“バカミス”に精通しており、
「ある技術」を、その中で磨いてきた。
その「ある技術」を用いて、しかも、
“ミステリ”の「形式」で書き上げたから、
一部では「誤解」があるらしい故に、注記。
犯行の「手口」は「杜撰」を極めている。
しかも、その「杜撰」は“バカミス”として、
「笑いを取るため」ですらない。
強いて言えば、その「杜撰」は、いわば、
“一個人”ではなく“波丘駿一郎の娘”という、
犯人の「幼稚」の発露と見るべきだろう。
“娘”--すなわち“子供”であるが故に、
その「責任逃れ」は「杜撰で幼稚」だ。
ただし「行き当たりばったり」ではない。
特に“第二の殺人”--間島殺しは、
赤羽根警部には、絶対に「推理できない」。
自明な「“波上館”の必然」に則り、
成功させることができたわけなのだ。
《奇書》の「核心」である、
“アンチミステリ”を、充分に満たしている。
「“リーダビリティ”が悪い」という批判がある。
--随分と、勇気のある批判者だ。
「自分は“波丘駿一郎の亡霊”に、殺されはしない」
という「無邪気な自信」が無ければ、
『波上館の犯罪』を“リーダビリティ”の観点から、
批判することなど、とても出来やしないだろう。
というか、其れこそ《三大奇書》を、
“リーダビリティ”の観点から批判しても、
其れは「無意味」ではないか!(笑)
--此の作品も「同じ」だ。
ひょっとして“ノベルス形式”だから、
侮られているのかもしれないが、
其れこそ「ある技術」のための要請であり、
つまりは、最終的に行き着く「美」のための、
ただ、その一点に奉仕するための“文章”であり。
「必然的な“リーダビリティ”の悪さ」も、
また《奇書》の「核心」であることを、
思い出されたし。……其れでも、少なくとも、
軽く一万倍ぐらいは、読み易いからね!?(爆)
此の作品は、
『波上館殺人事件』ではない。
此の作品は、
『波上館の犯罪』である。
だから「告発」されるのは、
「殺人」ではなく「犯罪」だ。
「殺人」も「手口」も「犯人」すらも、
結局のところは「瑣末事」でしかない。
--何故《奇書》は、“ミステリ”なのか。
其れは「通俗のジャンル」であるからだ。
「通俗のジャンル」に、突如として、
恐るべき“神憑り”を起こした“文学の者”が、
ナイフを手に、狂乱の風態で、殴り込むからだ。
つまり「被害者」は、“ミステリ”だ。
だから人は、其れらの《奇書》をして、
“アンチミステリ”と、呼ぶわけである!(笑)
そして私は、以前より、
中井英夫『虚無への供物』に対する、
「傾倒」を、表明してきた。
--なればこそ、言わねばなるまい。
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』は、
紛うこと無き“アンチミステリ”であり。
そして。
“アンチ『虚無への供物』”の性格を、備える。
『虚無への供物』が、
「タナトスが見下ろした、海底のエロース」なら。
『波上館の犯罪』は、
「エロースが見上げた、波上のタナトス」である。
--奇しくも、中井英夫は、こう述べた。
小説は天帝に捧げる供物、
一行でも腐っていてはならない。
嗚呼、何ということか!
まさに『波上館の犯罪』を、
「絶賛している」ではないか!!!
莫迦げている?不毛な徒労??
さういうことは、まずは、
『黒死館殺人事件』を、
一文たりとも斜め読みすること無く、
完ペキに読破してから、申し上げなさい。
……もちろん、私には無理だ!(爆)
《奇書》の「核心」は、
“神憑り”を起こした、作者の「意志」だ。
倉阪鬼一郎、並びに、波丘駿一郎に、
敬意を評して、其れを“脳波”と呼んでも、
私は、一向に差し支えない(笑)。
以上の拙文を以って、
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』を、
《第五の奇書》に、私は推したい。
御拝読のほど、誠にありがとうございました。
果
✳︎
さようなら!
さようなら!
さようなら!
私は光。
貴女に絵本を与えた、盲の執事。
私は影。
青年の白杖を預かる、聾の侍女。
私は波紋。
常闇に手慰む、古ぼけたピアノ。
私は粒子。
少女の静謐な、水彩のスケッチ。
私は希求。
無銘の丘に建つ、素朴な御屋敷。
私は失望。
悠久の夏を想う、キネマの庭園。
私は愛。
植栽へと、惜しみなく注ぐ太陽。
私は恋。
青空の下、ぐったりした向日葵。
私は精神。
丘から見下ろした、鉄橋の汽車。
私は実体。
軋んでは慄かせる、陽炎の貨車。
私は過日。
橋脚の湖底に遊泳する、黒い魚。
私は行方。
洋館の遥かへ翔び発つ、白い鳥。
私は生。ではないのです。
私は死。でもないのです。
私は貴女。
か弱くとも気高い、深窓の詩人。
さようなら!
さようなら!
さようなら!
侍女は、執事に。
執事は、貴女に。
御暇を賜りたく、このように。
参りましたので、ございます。
さようなら!
さようなら!
さようなら!
貴女は、か弱い。
されど、気高い。
どうか、泣かないで。
どうぞ、笑っていて。
さようなら!
さようなら!
さようなら!
さようなら!
さようなら!
さようなら!