社畜な鯱狗の妄想雑記

吾唯足知、即身仏。南無、阿弥陀佛。

【2017・G1】内藤哲也vs飯伏幸太を、糾弾しようか(失笑)

✳︎

まず初めに、書いておく。

自分は、その試合を観ていない。
ワープロも、とっくに解約した。

試合を観ていないけれども、言わせて貰う。
試合を観ていないからこそ、言わせて貰う。



馬鹿は、死んでも、治らねーのな?(嘲笑)



本間朋晃選手は「事故」だった。
柴田勝頼選手も「事故」だった。
(両選手の健やかな回復を、心より祈念しております)

内藤哲也選手に、もし、
「何か」があったなら。
(逆の場合もまた然り)



ソレは「事故」じゃねーぞ。

ソレは「殺人」だ。



「犯人」は、飯伏幸太選手じゃねー。
(逆の場合もまた然り)

新日本プロレス株式会社が「主犯」。

そして。

会場で応援しているファン。
ワープロで応援しているファン。

--アンタらが「共犯」さ。



「前から危ないと思ってたんだ!」って?

……カマトトぶってんじゃねーよ。

ソレをアンタは喜んで、観てたんだろ?
WWEには真似できない、なんて?(失笑)

「観てもない人間が批判するな!」って?

……それじゃあ、お聞きしますが?

「ファンはちゃんと声を上げている!」と、
そう仰る、不特定多数の、ファンの、皆様?



その結果、何か「改善」は、されましたか?
(鯱狗が大好きだった、内藤哲也のフロウで)



新日本プロレス株式会社に届いているのは、
来場者数と、視聴者数の、絶好調なデータ。
そして、ファンが落とすカネ、カネ、カネ!

それだけじゃ、なかったんですか!?
(選手をオモチャにする会社にガチ切れした、
 ケンドー・カシンこと石澤常光のフロウで)



……俺は、マジで、怒ってんだよ。
シュートだよ。コイツは100%の。

ヒロムとオカダと、あとついでにケニーに、
「危険技批判の封殺/レスラー超人宣言」を、
ファンに向かってヌケヌケと発信させた、
クソ殺人未遂プロレス株式会社によぉ!?

「試合を観てもいない」ことこそ、
俺の「怒り」のシュートたる由縁。

これ以上は1円だって、落としてたまるか。



……いつまで「結果論」を続ける?

「結果的」に、負傷者は出ませんでした!
「結果的」に、死亡者は出ませんでした!

……いつまで、続けるんだ?……なぁ……。






馬鹿は死んでも治らない。

馬鹿は、死んでも、治らない。



弊ブログの講読解除は、もちろん御自由!(笑)

グッバイ♪
(ケニーのフロウで)






























……あーあ。

もう更新する予定は、
無かったんだけどな。
このクソブログ(苦笑)。

まぁ、引退宣言したワケじゃ、
無かったから、許してちょ(殴)。

(コレがSNS中毒ってヤツ?www)

【たとひわれ死のかげの谷を農王系】必読の「反語的“カーゴ・カルト”叙事詩」的な!

ncode.syosetu.com

the-cosmological-fort.hatenablog.com

 

✳︎
……猛烈に「後悔」している。
 
以前より登録していた、
TCF様の《うちゅうてきなとりで》。
 
もっと早く、きちんと、読み込むべきであった!!!
 
まずは“詩”において!
 
あの「質」の作品を、“ポエム”と自嘲されては、
自作を“詩”と称している鯱狗は、
トンデモなく「ダサい」ので、とても困る!(殴)
せめて“ポエトリー”なら、ともかくw
 
……実際、正直なトコロ、
“詩”において「嫉妬」を覚えるのは、
久しく無かった感覚である(ー ー;)
 
まったく、完全に「異なる政治」であれば、
そういった「嫉妬」など、起こらなかった。
「政治」において、
「近い志向」かつ「より上質」であるから、
そのような「女々しい感情」が起こるのだ(失笑)。
 
 
 
そして「決定打」こそが、冒頭の小説、
たとひわれ死のかげの谷を農王系』!!!
 
 
 
……何だコレは!?(呆然)
 
何なんだコレは!!?(恐怖)
 
痕跡器官(呪術)としての官僚機構(文明)》
 
無理矢理に“言語化”を図るのであれば、
ソレらの羅列に、圧倒されるしかない。
 
--つまりは“カーゴ・カルト”だ。
 
現代社会”は在るが、“科学”は無い。
“小説”であるが、むしろ“叙事詩”だ。
その“叙事詩”としての「質」の前には、
「事実か虚構か」など、瑣末事である。
 
 
 
……鯱狗は、打ちひしがれるしか、ない。
 
 
 
鯱狗は“ファシスト見習い”として、
「最重要論考」と称して「平易」な、
ファシズム”の「概論(失笑)」を書いた。
 
……ソレは“敗北主義”でしか、なかった。
 
 
 
鯱狗は「小説(失笑)」も、書いた。
 
「青春小説」という「お題」で縛り、
17歳ではなく、30歳の作者として、
「ハッピーエンド」で、締め括った。
 
……所詮は、
“スターリニスト”の「科学」に対して、
ファシスト”は「屁理屈」を捏ねて、
「対抗ゴッコ」をしているだけなのだ。
 
鯱狗の描いた“祝福”の「システム(笑)」など、
「安全帯の先を、下で待つ者が握る」という、
《農王系》を前にしては「児戯」に等しい!
 
“擬似革命”を「“擬似革命”として称揚する」。
ファシスト”の「確信犯(誤用)」とは、結局、
「退屈な“ニヒリズム”」の延長上でしかない。
 
……完膚なきまでに「看破」されたも同然。
 
《“敵”を作ることから、創造的な仕事が始まる》
 
その、あまりにも明白な“真理”に対して、
“擬似革命”しか提示できない“ファシズム”は、
端的に言ってしまえば「ショボ過ぎ」なのだ。
 
“敵”を作るためには“官僚機構”が要るし、
“敵”を作るのが目的であるのだから、
“科学”は無用の長物。必要なのは“呪術”。
 
そして“敵”を発見するための“偵察”なのだ。
……間違っても“擬似革命”などでは、ない。
 
コレは“スターリニズム”に見せかけて、
強烈な“反スターリニズム”である。
 
しかも“反スターリニズム”のためには、
もはや“ファシズム”しか可能性は無い、
と訴える、我々“ファシスト”に対しても、
“反ファシズム”の立場を明らかにしている。
 
“偵察”は「無私の、公共への奉仕」だ。
ソレは“ファシズム”には「あり得ない」。
 
鯱狗は《この政治思想》に対して、
適切な「代名詞」を、知らない。
 
 
 
……理解っては、いた。
 
ファシズム”を信奉する、鯱狗は。
 
“政治”にコミットするには、あまりに、
「フェミニンなミソジニスト」だった。
噛み砕いて言えば、
「殴って謝る、女々しいDV男」と、
その「精神性」において、同等である。
つまりは“敗北主義”である。
 
長官である“わたし”と、情報員が、
“執行”と“研究”の「適正な分離」について、
《約束動作》として、掴み合いを始める。
 
ファシスト”の鯱狗からは、
絶対に「出てこない」アイデアだ。
 
 
 
たとひわれ死のかげの谷を農王系』には、
現時点まで“女性”に値する存在は、
《農王》その人しか、現れていない。
 
そして彼は、“男子”として、
「無私の、公共への奉仕」のため、
自ら進んで“去勢”を選んだ。
 
どこからか“巫女”を引っ張ってくるしか、
「能の無い」。我々“ファシスト”には、
到底、思いも寄らぬ「境地」である。
 
……理解っている。
 
我々“ファシスト”は。少なくとも鯱狗は。
 
たとひわれ死のかげの谷を農王系』における、
“真の敵”と「戦う」上での「邪魔な害虫」。
《農王》の「君側の奸」。醜く卑しい紫包帯。
“侍従武官”バハードゥル。
まさに「その人」である。
《農王》の君側に仕えながら、
「目に見える紫」を纏う、その許し難き「不敬」。
 
……自己嫌悪で、吐き気を催す。
 
 
 
《農王》と聞いて、鯱狗は真っ先に、
《神農皇帝》を想起した。
ファシスト”として、そして、
テキ屋”に共感(シンパシー)を抱く鯱狗は、
実に勝手に「期待」を寄せた。
 
……大間違いであった。
 
誤解と矮小化を承知で喩えるなら、
《神農系》は、“テキ屋”ではなく“博徒”だ。
「国それ自体」が、“異邦人”であるのだ。
 
「喪われた故郷」を求めて彷徨う、
我々“ファシスト”の「女々しさ」を、
嘲笑うかのように。
 
 
 
この作者である、TCF様は、
1987年生まれ30歳の鯱狗の、
少し歳上ぐらいで、あるらしい。
つまり、30代前半だ。
 
それでいて。
 
自らの身体の頑健に励まれ、
自ら異邦の言葉を学んで、
自らの足で、“異邦人”として、
世界を周遊されていらっしゃる。
読書の、量も、質も、
鯱狗など、足元にも及ばない。
 
 
 
この、鯱狗の女々しい、嫉妬の翠の焔!!!
 
 
 
……鯱狗のブログを読んで下さっている、
奇特な読者の方の、9割方は、
鯱狗が“ファシズム”を語り、“政治”を語るのが、
面白くはないだろうと、理解している。
 
純粋な音楽のブログであって欲しいか、
純粋な創作のブログであって欲しいか、
或いは、
純粋なプロレスのブログに戻って欲しいか、
まぁ、だいたい、そのいずれかだろう。
 
それでも。
 
たとひわれ死のかげの谷を農王系』は、
読んで欲しい。読んで頂きたい。
 
ゴチャゴチャ言わんと、読め!!!(爆)
 
「市井の哲人」を、見て見ぬフリはできぬ、
その程度の「ちっぽけな良心」ぐらい、
こんな鯱狗だって、持ち合わせている!
 
……安心して頂きたい。
たとひわれ死のかげの谷を農王系』は、
純粋に「エンターテイメント」としても、
まったく一級の作品である!
 
最新14話では、いよいよ、
“敵”が「受肉」を果たそうとしている。
 
続きに、期待するしかない!(笑)
 
 
 
以上、御拝読のほど、誠にありがとうございました。

【ヘビーメタルと文芸少女】全123話読了!

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✳︎
45話までの感想はコチラ!
 
ネタバレとか一切、気にせず書くので御注意!(>_<)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
オーケー?
 
 
 
 
 
 
 
 

 
それではまた、順不同の箇条書きにw
 
美山はNINにハマったかwww
そして「ザ・ビューティフル・ピープル」ネタ(笑)。
ネーミングは、やっぱり美山かな?w
NIN、MMと来たら、超マニアックなトコロなら、
Psyclon Nineとか、オススメですよ?(爆)
 
Dinosaur Jr.の3枚目……“Bug”か。
鯱狗は、2枚目の方が好き(苦笑)。
 
結末は納得!
酔ってニゴイを焚火に投げる倉田は「コチラ側」。
須永と横井は、言うなれば「アチラ側」だから。
そして、横井は「努力」をしている。
倉田がメタリカを聴き始めて、そして、
最後に「正解」に辿り着いたのと、同じ「努力」。
ユリカは、須永について、
何か「努力」をしただろうか。
そーゆーコト。……女性から見て、
「純情を武器にする」ユリカって、
どういう風に映るんだろう?(苦笑)
鯱狗は、ちょっと苦手だったかも(殴)。
その辺は、倉田に馴れ馴れしい美山に、
理不尽に嫉妬する描写もある通り、
作者様も「織込済」かと存じ上げますがw
 
美山は西川とくっ付いたか……。
これは、意表を突かれました。
いや、もし、美山が誰かと、くっ付くなら。
 
大沢じゃないかと(爆)。
 
そう、思っていたモノでして(苦笑)。
大沢は、本当に、ただの「ピエロ」だったのか。
……鯱狗は、大沢の「内面」に、
スゴく「興味」があった。
曲がりなりにも「理解者」のいた美山より、
大沢の「孤独」は、絶望的に「深い」のでは。
美山のように、己の「痛々しさ」を、
「嘆く権利」すら、このセカイで。
「ピエロ」の大沢には「与えられていない」。
その「内面」に、もし「触れ得るモノ」が、
あの浮世離れした文芸部の面々に、いるなら。
ソレは、美山なのかな……って。
ちょっと、勝手に妄想しておりまして(苦笑)。
 
文芸部パート、バイト先パートと、比べて。
デスピノパートは、濃密な描写に反して、
「現実感が希薄」だった印象。
……まぁ、当たり前なのですが(苦笑)。
「デスピノのユリカ」は、他のパートで、
「コチラ側」にいたユリカが、
「アチラ側」にいるんですよね。
ソレは「天才ギター少女」であって、
「大石ユリカ」としての「実在感は希薄」。
だから、文芸部の面々と比べて、
デスピノのメンバーは、どこか「希薄」。
そんな中で、強烈に「幼稚な悪意」を見せた、
コウタローの圧倒的な「存在感」に、
鯱狗はヤられましたね!(爆)
コウタローの「存在感」が強烈過ぎて、
デスピノの面々は「霞んでしまった」。
……やっぱ鯱狗は、
メタラーよりパンクス寄りなのかなぁ(苦笑)。
 
佐久間会長……う〜ん、ソコで引き下がるか。
鯱狗は、佐久間会長が、
スッゲー「カッコ良い」と、思ったんですよねw
「数を正義に熱狂する群衆」を前にしたとて。
「たとえ独りでも、己の信念は曲げない」って。
 
スッゲー「ロック」だ、この人!って(爆)。
 
だいたい、デスピノは「ズル」してるんです。
ボヤ騒ぎで部室の鍵を取り上げられたのに、
二度目のボヤ騒ぎを「利用」して、
千人の聴衆を集めたワケで(苦笑)。
ソレって……「ズル」じゃない??
約束は約束だから、鍵は返すとして。
何か「イヤミ」の一つでも、返してくれるかと、
ちょっと期待してしまったワケですが。
その時に、もし、マヤ達が。
ソレは「コウタローが勝手にやったコト」と、
「幼稚な悪意」を見せたとしたら。
果たして、ユリカは、どうしたんだろう?と。
「アチラ側」に立つのか。「コチラ側」に立つのか。
ちょっとだけ妄想(殴)。
 
佐久間会長は、親に隠れて、
ハードコア・パンクとか(!)、
聴いてたかもしれない、なんてw
 
再び、ラストシーンの話。
倉田の「月が綺麗だな」で、思い出したのが。
 
高岡ヨシ様の『茜橋で待ってます』のラスト。
 
サキヤマさんの、
「一緒にサブちゃんの詩集は読めないかもしれないけど」
だったんですよねw
 
「好対照」で、どちらも「正解」。
むしろ「間違いなんか無い」!(爆)
 
いやぁ、「青春」って本当に、良いモンですねw
(水野晴郎のフロウで)
 
 
 
 
 
というワケで、
ボリュームに違わぬ、大満足でございました!
……やっぱ「青春小説」は、こうでなくちゃ(苦笑)。
 
次は『土管の向こうの街』やねw
 
 
 
ではでは!

【ヘビーメタルと文芸少女】3章/45話まで読了!

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✳︎
最近、お気に入りの、コチラのブログ様♪
 
良きパパにして、生き様が「ロック」!(笑)
30歳の鯱狗が憧れる、オジサマ枠でございますw
 
そして、小説を公開されているんですよね!
 
……鯱狗は、昔から。
自分が気合を入れて小説を書いている最中は、
一定より長い、人様の小説を「読めない」って、
困った「悪癖(?)」が、ございまして(苦笑)。
 
ようやく『青春タンクデサント』も書き上げたので、
以前から気になっていた、なるかみ音海様の第一作、
ヘビーメタルと文芸少女』の講読を開始!( ̄▽ ̄)
 
全123話という数字に、ビビっていた(苦笑)のですが、
1話当たりの分量とテンポが適量なので、とりあえず、
ビビる必要は、ございません!w
 
大石と大沢。
……鯱狗、苗字、覚えるの、苦手。
(未開人のフロウで)
 
Carcassの話題についてこれる女子高生www
Paracoccidioidomicosisproctitissarcomucosisの、
話題を出しても、ヒかれないかなぁ?(笑)
……いや、Paracocci(以下略)に、語るべきような、
ギターのテクニックとか、何も無いですケド(殴)。
 
実在する土地や施設の名前で、詳細に、
小説を書けるのは、基本的にスゴいヒト。
ちゃんと「地に足が着いている」から。
 
36〜38話が、白眉!
美山をただ「引き立て役のキャラクター」ではなく、
「血の通った人間」として、しっかりと描いている。
 
そして「メッセージ性」。
 
たとえ、稚拙でも、借り物でも。
その「音」が、誰かの「ココロに届く」なら。
ソレを「奏でる意味はある」んだーーって。
 
つまりは「パンクの精神」なんですよ!(笑)
 
ソレを「技巧派メタラー」に、語らせる。
その「構図」が、メチャクチャ「大事」で!
 
ソレを、もし。誰かが、伝えられていたなら。
 
 
死ななくても、良かったかも、しれなかった。
「俺は、パンクの魂を、商業主義に売っちまった」
なんて、思い詰めるコト、無かったんだ、って。
 
大石ユリカの「メッセージ」は、
メタルを死ぬほど嫌悪したカートへの、
メタラーからの回答」足り得るモノ。
 
この回は、ホントに大好きです!(笑)
 
……後半では、あのキャラや、あのキャラも、
「血が通っていく」のかなぁと、楽しみですw
 
蛇足。個人的な思い出(殴)。
 
鯱狗は、まさに、大学では。
文芸部と軽音部を、掛け持ちで。
小説と詩と、自作ポップパンク・バンドに、
明け暮れていたワケですが(苦笑)。
 
ある日の、文芸部にて。
部内でも、頭一つ飛び抜けて、
プロ級の小説を書く、女子部員が。
 
「私は、鯱狗君の詩が、嫌いだよ」
「そのコトバで、もっと違ったコトを、書いて欲しいと、思っている」
「それでも、鯱狗君のは、“詩”と呼べる」
「(新入部員の)◯◯さんのはナニ?“ポエム”?」
「部誌に載せる価値、無いよ」
「“詩”っていうなら、せめて、このレベルで出して?」
 
などと、いきなり(汗)。
初めて、小説ではなく、詩の原稿を叩き付けて。
ソレがまた、鯱狗など、足元にも及ばぬ、
虚飾を排しながら、哲学者な心象に満ちた、
凄まじいレベルの“詩”だったりしたモノで。
 
面と向かって「無価値のポエム」と言われた、
後輩の◯◯さんは、泣き出しちゃうし(呆然)。
唐突に引き合いに出された、鯱狗はどうしろと?
 
……そんな「修羅場」の記憶が、甦ったり(白目)。
 
 
 
とりあえず、本日は、ここまで♪
後半の感想は、また後日!
 
皆様も、是非とも、お読み頂けたら!
繰り返しですが、全123話にビビるのは、
勿体無いですので!(笑)
 
ソレからソレから。
 
 
高岡ヨシ様の『茜橋で待ってます』は、
鯱狗は、何度でも、推しますので!(爆)
 
……こんな辺境のクソブログじゃ、
宣伝にも、なりませんけれど(殴)。
 
 
 
ではでは!w

【茜橋で待ってます】完結キター!!!(≧∀≦)

yoshitakaoka.hatenablog.com

yoshitakaoka.hatenablog.com

 

✳︎
最近、発見したコチラのブログ様!!!
 
めちゃくちゃ「澄んだコトバ」を書かれていらして、
更新が楽しみで楽しみで、仕方無かったのですが!
 
特に、今回の『茜橋で待ってます』は、
もう、ド真ん中のド真ん中を行く、
 
「青春小説」で、ございまして。
 
もう後編が、ホントにホントに楽しみで!(//∇//)
 
…正直、「暗号」については、
前編で察しが付いていただけに、
「ああああ、この流れは、この流れは!」
と、鯱狗は、後編の途中で、
一人で悶えていたのですが(苦笑)。
 
 
 
「そんなに遠くないよ」
 
 
 
って。スゲェ。スゲェとしか言えない。
 
こんな「澄んだコトバ」。
 
なかなか見ることは、叶わない。
 
 
 
「そんなに遠くないよ」
 
 
 
ヤバいね。
 
ぶっちゃけ涙脆い鯱狗には、ヤバかった(小声)。
 
作者の高岡ヨシ様、
素晴らしい作品を、
ありがとうございましたm(_ _)m
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ああああ、こんなコトなら!
 
こんなに早く、後編を読めると、知っていたなら!
 
小説形態としては、約8年ぶり、
一人称モノとしては、約12年ぶりに、
変なモノ、書かなきゃ良かったorz
 
 
 
ではでは(白目)。

倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』を《第五の奇書》に推す


もちろん、アフィリエイトではない。
ただ、一人でも多く、読みたまへ(笑)。

注:
「犯人」を含めて、以下のレビューは、
「瑣末事のネタバレ」については、厭わない。

実際、この作品に「フーダニット」などといった、
いわゆる“ミステリ”的な「価値」は殆ど「皆無」。



中井英夫『虚無への供物』(1964年)
--以上が、世に言う《三大奇書》。

竹本健治『匣の中の失落』(1978年)
--此れが《第四の奇書》と、目される。

そして、私は、其処に。

倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』(2014年)
--此れを《第五の奇書》に、加えたい。



始めに、断っておく。
『波上館の犯罪』は、いわゆる“バカミス”ではない。
此れは、作者自身が断りを明言しているのだが、
改めて、強調しておきたい。
作者にとって、本作は、そのライフワークとする、
交響曲シリーズ”の“第6番”であること。

交響曲シリーズ”とは--。
(波丘駿一郎に叱られそうだが)
あえてジャンルで括るのならば、作者の、
「芸術館/死生観」を前面に打ち出した、
幻想文学”のシリーズと、言えよう。

そして作者は、一方で、紛うこと無き、
エンタメとしての“バカミス”に精通しており、
「ある技術」を、その中で磨いてきた。

その「ある技術」を用いて、しかも、
“ミステリ”の「形式」で書き上げたから、
一部では「誤解」があるらしい故に、注記。



犯行の「手口」は「杜撰」を極めている。
しかも、その「杜撰」は“バカミス”として、
「笑いを取るため」ですらない。

強いて言えば、その「杜撰」は、いわば、
“一個人”ではなく“波丘駿一郎の娘”という、
犯人の「幼稚」の発露と見るべきだろう。

“娘”--すなわち“子供”であるが故に、
その「責任逃れ」は「杜撰で幼稚」だ。

ただし「行き当たりばったり」ではない。

特に“第二の殺人”--間島殺しは、
赤羽根警部には、絶対に「推理できない」。
自明な「“波上館”の必然」に則り、
成功させることができたわけなのだ。

《奇書》の「核心」である、
“アンチミステリ”を、充分に満たしている。



「“リーダビリティ”が悪い」という批判がある。

--随分と、勇気のある批判者だ。

「自分は“波丘駿一郎の亡霊”に、殺されはしない」
という「無邪気な自信」が無ければ、
『波上館の犯罪』を“リーダビリティ”の観点から、
批判することなど、とても出来やしないだろう。

というか、其れこそ《三大奇書》を、
“リーダビリティ”の観点から批判しても、
其れは「無意味」ではないか!(笑)

--此の作品も「同じ」だ。

ひょっとして“ノベルス形式”だから、
侮られているのかもしれないが、
其れこそ「ある技術」のための要請であり、
つまりは、最終的に行き着く「美」のための、
ただ、その一点に奉仕するための“文章”であり。

「必然的な“リーダビリティ”の悪さ」も、
また《奇書》の「核心」であることを、
思い出されたし。……其れでも、少なくとも、
軽く一万倍ぐらいは、読み易いからね!?(爆)



此の作品は、
『波上館殺人事件』ではない。

此の作品は、
『波上館の犯罪』である。

だから「告発」されるのは、
「殺人」ではなく「犯罪」だ。

「殺人」も「手口」も「犯人」すらも、
結局のところは「瑣末事」でしかない。



--何故《奇書》は、“ミステリ”なのか。

其れは「通俗のジャンル」であるからだ。

「通俗のジャンル」に、突如として、
恐るべき“神憑り”を起こした“文学の者”が、
ナイフを手に、狂乱の風態で、殴り込むからだ。

つまり「被害者」は、“ミステリ”だ。

だから人は、其れらの《奇書》をして、
“アンチミステリ”と、呼ぶわけである!(笑)



そして私は、以前より、
中井英夫『虚無への供物』に対する、
「傾倒」を、表明してきた。

--なればこそ、言わねばなるまい。

倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』は、
紛うこと無き“アンチミステリ”であり。

そして。

“アンチ『虚無への供物』”の性格を、備える。

『虚無への供物』が、
タナトスが見下ろした、海底のエロース」なら。

『波上館の犯罪』は、
「エロースが見上げた、波上のタナトス」である。

--奇しくも、中井英夫は、こう述べた。



小説は天帝に捧げる供物、
一行でも腐っていてはならない。



嗚呼、何ということか!

まさに『波上館の犯罪』を、
「絶賛している」ではないか!!!



莫迦げている?不毛な徒労??

さういうことは、まずは、
一文たりとも斜め読みすること無く、
完ペキに読破してから、申し上げなさい。
……もちろん、私には無理だ!(爆)



《奇書》の「核心」は、
“神憑り”を起こした、作者の「意志」だ。

倉阪鬼一郎、並びに、波丘駿一郎に、
敬意を評して、其れを“脳波”と呼んでも、
私は、一向に差し支えない(笑)。



以上の拙文を以って、
倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』を、
《第五の奇書》に、私は推したい。

御拝読のほど、誠にありがとうございました。

✳︎

さようなら!
さようなら!
さようなら!



私は光。
貴女に絵本を与えた、盲の執事。
私は影。
青年の白杖を預かる、聾の侍女。

私は波紋。
常闇に手慰む、古ぼけたピアノ。
私は粒子。
少女の静謐な、水彩のスケッチ。

私は希求。
無銘の丘に建つ、素朴な御屋敷。
私は失望。
悠久の夏を想う、キネマの庭園。

私は愛。
植栽へと、惜しみなく注ぐ太陽。
私は恋。
青空の下、ぐったりした向日葵。

私は精神。
丘から見下ろした、鉄橋の汽車。
私は実体。
軋んでは慄かせる、陽炎の貨車。

私は過日。
橋脚の湖底に遊泳する、黒い魚。
私は行方。
洋館の遥かへ翔び発つ、白い鳥。



私は生。ではないのです。

私は死。でもないのです。



私は貴女。
か弱くとも気高い、深窓の詩人。



さようなら!
さようなら!
さようなら!



侍女は、執事に。
執事は、貴女に。

御暇を賜りたく、このように。
参りましたので、ございます。



さようなら!
さようなら!
さようなら!



貴女は、か弱い。
されど、気高い。

どうか、泣かないで。
どうぞ、笑っていて。



さようなら!
さようなら!
さようなら!



さようなら!
さようなら!
さようなら!